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前ページ次ページ使い魔は四代目 「いや、からかってるわけじゃなくてな。本当に読めないんじゃ。今まで不自由なく話せておったからうっかりしておったわい。 してみると、今会話ができているのもルーンの力か?…いや、違うか」 「…違う?使い魔にした動物と会話ができるようになるのは珍しい話じゃないけど?ああ、勿論ただの動物とリュオを一緒にするわけじゃないわよ」 「わかっておるわい。そうじゃなくてじゃな、ほれ、わしが召喚された時の事を思い出してみんかい」 「…ああ、そういえば最初はリュオからコルベール先生に話しかけたんだっけ。…そうか、確かにあの時から言葉が通じてたわね。」 「そうじゃ、勿論その時はルーンなんぞ刻まれておらんかったしのぉ。すると、問題はそれ以前じゃな。すると…まぁ、どう考えてもゲートの方が原因か …しかし、融通が効かんなぁ、どうせなら文字も分かるようにしてくれれば良かったのじゃが」 「…ちよっと待って、これって新発見なのかも。」 ルイズは少し考え込んだ。使い魔と会話ができるようになるのは刻まれるルーンのせいだというのが通常の考え方のはずだ。 しかし、リュオの話だと召喚された時点で会話が可能であり、契約は関係ない、という事になる。 もっとも、偶々そうなったという可能性もあるし、新発見ではあるかもしれないがそれが重要な事だとは思えなかった。 要は契約までの順番が多少前後するだけだ。大発見とは行かないか。 エレオノール姉様辺りならまた違った受け止め方をするのかもしれないが…。 しかし仮に興味を持ったとしたら、色々と細部まで追求されるのは明白である。 本人に悪気が無いのは一応分かっているが、迂闊に話せない秘密を抱えている以上、ぼろを出さずにやり過ごせるとは到底思えない。 それに、やっぱりその、なんだ、怖いし。やはり姉様には話さない方が良さそうだ。ルイズがそう結論付けた一方で、リュオもその事に興味を引かれた様だ。 「新発見.…?そうか、魔法の知識がある故の先入観じゃな。使い魔になったから言葉が分かるようになる、という。しかし実はそうではない、と。 ん?それを推し進めていけば言葉が分かるからこそ使い魔になる…いや、使い魔にするために言葉を分かるようにする、のか? …まぁ、情報が少ないからこれだけでは何とも言えぬか。…いずれにせよこのサモン・サーヴァント…じゃったか? 相当癖のある術式のようじゃな…というか、お主等そんな良く分かってない術式なんぞホイホイ実行するんでないわ。変な物を呼び出したらどうするんじゃ」 「そんな事言ったって今まで何の問題も起きなかったわけだし…大体、変な物って何よ」 「ん?そうじゃな、…やまのようにおおきなまじんとか、とてつもなくおそろしいもの、とか?」 リュオの言う「変な物」とやらが余りに荒唐無稽だったので、ルイズはからかわれていると感じ、少々ムッとしながら抗議した。 「…ちょっと、適当なこと言わないで頂戴よね」 「適当じゃないぞ。そういった物を召喚できる呪文があるんじゃ。『パルプンテ』というんじゃがな。なんなら実演して見せても良いぞ。 まぁ、実際にそういう物を召喚出来るかどうかは分からんがな、 なにせ唱えた本人にも何が起きるかわからない呪文じゃから…本当、何の為にある呪文なんじゃろうな?」 「…私に言われても分かるわけないじゃないのよ。ああもう、どうせ冗談なんでしょうけど、本当にそんな物騒な物唱えたりしないでよね」 「そうかそうか、見てみたいか。よろしい。始原の名もなき無なる神よ、混沌の太古よりその姿なき姿を現したまえ。虚無の力をわが前に現したまえ。我に」 「だから止めてってば!…全く人を驚かすのが好きなんだからもう。大体、何が虚無…え?虚無?」 リュオの詠唱を打ち切らせたルイズは、その詠唱中に出てきた言葉、「虚無」の単語に何か引っかかるものを感じた。 リュオの今の話が本当だとすれば、今の呪文は虚無の力を使って凄まじいものを召喚できるようだ。 そして、始祖ブリミルが操ったと言う、四大系統魔法に分類されない今は絶えたとされる幻の系統、虚無。 どちらにも虚無が絡むのは偶然だろうか。そして、リュオの存在自体が充分に凄まじいものなのではないのだろうか?だとすれば…? 前例の無いコントラクト・サーヴァント。リュオの存在、虚無の力を利用した召喚の呪文、それらがおぼろげながら一本の線で繋がった、ルイズはそんな気がした。 …が、すぐに自分でそれを打ち消した。馬鹿な。それでは自分は虚無の使い手ということになる。 コモンマジックすら成功しない者が始祖ブリミルと同系統の虚無の使い手などと、自惚れにも程があるというものだ。 大体、今の会話の流れだとリュオが自分をからかうために即興でそれらしく呪文の体裁を整えて唱えてみせた、というのが本当の所だろう。 それを真に受け、他人が聞いたら間違いなく誇大妄想と笑われるような考えを一瞬でも浮かべた自分が恥ずかしく、ルイズは赤い顔でリュオを睨み付けた。 「ん?どうしたんじゃ?難しい顔をして睨みおってからに」 「…いや、なんでもないわ.。ていうか、誰のせいだと思っているのよ…もう」 「ふぉっふぉっふぉっ。いや、流石に冗談が過ぎたか。済まんかったな。 しかし困ったの。いずれは字を習わなければならんが…取り合えず倉庫を漁るときはルイズにこのリストを読み上げてもらうしか無さそうじゃな。 さて、その話はここまでにして…ルイズ、一応確認しておこうかい。この世界での使い魔の勤めとは何かな?」 「…やっと本題に入れたわね。脇道に逸れ過ぎよ.、全く…そうね、色々あるけれど、主人の目となり耳となる、 秘薬の材料等といった主人の望む物を見つける、主人を護衛する、といったところかしら」 その返答が概ね予想通りのものだったので、リュオは頷くと、言葉を続けた。 「うむ、やはり使い魔のやる事はどこに行っても変わらん様じゃな。なら話が早いわい。それで、わしの見てるいものが見えているのか?」 「…駄目ね。いつもと変わらないわ」 「そうじゃったのか?わしにはルイズの見ているものが良く見えるがのぉ…これ、冗談じゃ。そんな顔で見るでないわ。 しかし、感覚を共有するというのはそういう事じゃ。自分の見ている物をずっと見られるというのは監視されているようで気分が良いものではないじゃろ? 今ルイズがそんな顔をして見せたようにな。じゃから、物は考えようじゃ。お互いこれで良かったと言う事にしようではないか。 さて、二つ目の探し物じゃな。物が分かっていれば出来なくは無いだろうが、こっちの世界のことは良く分からんから余り期待は出来んな。残念じゃったな」 「…自分で言わないで… で、最後の主人の身を守る、と言う点についてだけど。これに関しては何も言う事はないわね」 「戦闘に絶対はないから油断は出来んがな。とはいえ、大抵の敵には遅れをとらんじゃろう。 じゃが、敵が多いようなら己の生き方を振り返ってみるべきだとは思うぞ?」 「そんな敵キュルケぐらいしかいないわよ!私が言ってるのはそういうんじゃなくって…」 「ふぉっふぉっふぉ、わかっておるわい。まさかわしの力を疑うわけではあるまいな?」 「勿論凄く強いだろう、ってのは分かるんだけど、比較できるものが無いからどのくらい強いと言うのかが今ひとつ良く分からないのよね」 「それもそうじゃな。ま、それはその時がくればわかるじゃろ。正直戦闘なんぞせずに済めばそれが一番じゃからそんな時がこない事を願いたいもんじゃが…ん?誰じゃろ?」 その時、ドアをノックする音が響いた。続いてドア越しに聞こえてきた声にリュオは聞き覚えがあった。 「ミス・ヴァリエール様。夕食をお持ちしましたが」 「来たわね。開いてるわよ。入って頂戴」 ルイズの許可を受け、メイドが二人分の夕食を乗せた台車を押しながら部屋に入ってきた。リュオの予想通り、そのメイドは昼間会ったシエスタであった。 「こんばんはリュオ様、昼間はどうも」 「うむ、こんばんは、じゃなシエスタ。何じゃ、ルイズが頼んだのか?」 「そうよ。だって昼間に騒動やらかしたばかりよ?食堂で色々クラスメートに説明する事になるのも面倒だしね。 …まぁ、明日の授業からは出来るだけ一緒に出てもらうから、時間稼ぎでしかないけれど。 …それはそうと、何よ、メイドなんかといつ知り合ったの…って、私が授業に出ている間しかないか」 「うむ。偶然中庭で出会ったのじゃがな。なにやら…うむ、その。何じゃ。凶悪なドラゴンが出たという噂に怯えていたのでな。わしが落ち着かせた」 「…え?凶悪な…ドラゴン?」 ルイズは、何か嫌な予感がした。 「ミス・ヴァリエール様、リュオ様って凄いんですね!凶悪なドラゴンを見事宥めたんだそうですよ。ああ、見たかったなぁ…」 「宥めた…って…ねぇリュオ、その…凶悪なドラゴンってもしか」 「はっはっは、ん~何の事かなフフフ」 図星だった。ルイズは内心頭を抱えた。薄々感じていた事だが、このリュオ、「話の分かる気さくな王」じゃなくて「ただ単に調子のいい王」なんじゃ… 「えぇ、まぁ、確かにその、色々と凄いメイジなのよ」 冷や汗を浮かべながらそう言ったルイズは、かなり扱いにくいけど、と内心で付け加えた。 「それはそうと、あー、あの、シエスタ、だっけ?リュオがそう言ったの?」 「はい。それだけじゃないですよ。怯えていた私を落ち着かせてくれて、厨房まで送ってくれたし、マルトーさんに怒られた時も庇ってくれたし…本当、リュオ様は素敵な紳士ですわ」 「…そ、そう、紳士、ねぇ」 どういう事なのよ?と口には出さず冷たい眼で問いかけるルイズにリュオは乾いた笑いを返した。 「…はっはっは、ルイズよ。そこら辺の所はその、何じゃ、軽く流してくれんか」 「あ、安心してください、ミス・ヴァリエール様。マルトーさん始め、厨房スタッフ総出で無礼のないよう歓待させていただきました!」 「…うむ、まぁ、そういう事だったんじゃよ」 「ああ、それで随分飲んでたのね。納得できたわ」 そう言った所でルイズはふと気付いた。このシエスタなら、リュオに好印象を持っているようだし、自分も面識はある。リュオに付けるメイドにするには丁度いいかもしれない。 「…そうね、貴女、シエスタだったわね?」 「え?そうですが… あの、私、何か粗相を?」 食事の支度の手を止め、怯えたように質問してくるシエスタを見てルイズは苦笑した。 「ああ、心配要らないわ。驚かせて御免なさい。実はこのリュオにつけるメイドを探していたんだけど、 シエスタならリュオに好印象を持っているみたいだし、丁度良いかと思ったの。 引き受けてくれるかしら?学院長の発案だからメイド長辺りには話が通っているはずだし、後の事は問題無い筈よ」 「おお、それは良いのぉ。わしもシエスタなら安心じゃ。無論、シエスタが良ければの話じゃがな」 「はぁ…それは構いませんが。そうなると、私はずっとここに詰めるような形になるのですか?」 「そこまでせんでええじゃろ。ルイズは授業もあるし…朝、出掛けるまでの間来て貰えば良いのではないか? 後は夜に少し来て貰って何か用があるならその都度やって貰う、そういう形でどうなんじゃ、ルイズ」 「うん、それで良いでしょ。確かにずっとここにいて貰うほどの仕事は無いと思うしね。じゃぁ、そういう形でよろしく頼むわ、シエスタ」 「はい、わかりました。では、早速明日の朝からこちらに伺えばよろしいのですか?」 「えぇ、それで頼むわ」 「わかりました、それではまた明日の朝伺います。それでは失礼します」 「うむ。明日からよろしくな」 深々とお辞儀をして退室するシエスタを見届けると、ルイズは口を開いた。 「さて、それじゃ冷めないうちに食べちゃいましょ。流石にお腹もすいたしね。 偉大なる始祖ブリミルと女王陛下よ。今夜もささやかな糧を我に与えたもうことを感謝いたします」 「え…ささ…やか…?」 豪華な食事を前にして祈りを捧げるルイズにリュオは言わずにはいられなかった。 「悪かったわね、生憎と学生の身だから質素な食事なのよ。そりゃ王族の食事のようにはいかないわ」 「…逆なんじゃがなぁ。まぁえぇわい。」 どこがささやかなんじゃ、竜王たる自分より余程贅沢な物食べてるわい、とリュオは多少切なく思ったが、美味そうな食事にケチを付ける気は無かったので黙っている事にした。 食事をしながらルイズは、リュオの事を聞きたがった。 「仮にも主人としては使い魔の事を良く知っておかないとね」 と、尤もらしく言ってはいたが、いかにも興味津々と言ったその表情からそれが建前であることは明白だった。 が、その事にはあえて触れず、リュオはアレフガルドで広く知られている英雄譚、そして自分とも深く関わりのある話… つまり、ロトの子孫であるアレフが竜王から世界を救い出す戦いの話を披露する事にした。 それにルイズは眼を輝かせて、質問を挟みつつ聞き入った。 その様子を見ているだけで、リュオの中から先程感じた切なさは跡形もなく消え去っていった。 「…それで?その魔王の方の竜王と、リュオとどっちが強いの?」 「まぁ、実際会った訳でもないから比較しようがないがな、まずひい爺さんじゃろうな」 「…ちょっと待ってよ。そんなとんでもないドラゴンに、そのアレフは立ち向かったっていうの?たった一人で?」 「うむ、凄いじゃろう。伊達に勇者として延々語り継がれとらんわい。それでじゃな。ローラ姫は自分を救い出したアレフにぞっこんになってな。 まぁ無理も無い話じゃがな。『王女の愛』を授けたんじゃ。これはな…」 リュオは、どこと無く子供や孫が出来たような気分で話し続けていたが、ルイズが大きな欠伸をしたので、そこで話を止めることにした。 「なんじゃ、おねむの時間かい。確かに随分と夜も更けたし、頃合かの。続きはまた今度じゃ。 ところでルイズ…わしをどこで寝かせる気かな?」 「え、それは」 「一つ言っておくぞい。言った通り使い魔としての勤めはやってやらん事もない。 だからこそ今わしはここにいるわけじゃしな。じゃがわしにも竜王の一族としての誇りがある。 あまり馬鹿な事をさせると怒るからそのつもりでの。…例えば、床で寝ろとか」 「あああ当たり前じゃない…と言いたい所だけど生憎こんな事になるなんて思ってなかったから、ベッドは一つしかないのよね.…」 「そうじゃろうな。安心せい。わしとてルイズからベッドを取り上げて床で寝ろという気は無いわい。 まぁここは二人で一緒に寝るのが良かろう。…何じゃその目は。ワシは紳士じゃ、安心せんか」 「…一応聞くけど、ドラゴンの姿に戻って外で寝るってのはどうなの?あの姿なら寒さなんて感じないんじゃない?」 「ああ、それは良い案じゃな。夜が明けたら凄い騒ぎになりそうじゃ。それに最近風邪気味でな。 あの姿でうっかりくしゃみすると豪快に炎がなぁ。ま、ここは魔法学院じゃし耐火の魔法ぐらい」 「……一緒に寝るわよ。寝ます。寝させて下さい。寝れば良いんでしょう…」 「おお、見た目通りにふかふかじゃのう」 リュオは上機嫌でベッドに滑り込んだ。 「…はぁ…全く疲れるわぁ…」 ルイズはのろのろと着替え終えると、げんなりと横になった。 「ほっほっほ。娘っ子と一緒に寝るなんぞ何年ぶりかのう。これで『ぱふぱふ』があれば最高なんじゃが」 「…あまり聞きたくないんだけど、その『ぱふぱふ』ってなんなのよ」 その言葉にリュオはルイズを…詳しく言えばルイズの胸の辺りをしばし見つめた後に、気の毒そうな声で続けた。 「…悪かったのぉ。ルイズには縁の無い話じゃ。 ……いや、むしろこれはこれでええと言う者もおるかのぉ。ふぉっふぉっふぉ」 「くっ……なにかすっごく馬鹿にされているような気がするわ…」 ルイズはしばらくぶつぶつ言っていたが、色々あって疲れていたのだろう。程なく眠りに落ちた。 リュオはその姿をしばし柔らかい表情で眺めていたが、やがて真顔に戻ると窓越しに空を見た。 リュオの視線の先には、煌々と輝き大地を優しく照らしだす、巨大な 「…二つの月か…果たしてこの地にルビスの加護は届くのかのぉ…」 少しだけしんみりとリュオは呟いた。 こうして、波乱の一日が終わったのである。そしてそれは、伝説の始まりであったのだが… その事を知る者はまだ、誰もいない。 前ページ次ページ使い魔は四代目
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん 彼女は失ってしまった。心から良かったと叫べるほどの゛幸福゛を。 あの狭い箱庭のような世界で限られた自由しか与えられず、常に血の匂いを漂わせていた彼女が唯一欲していたもの。 それと触れ合う時だけ心の底から自由だと思い、血生臭い自分を一時の間だけ忘れさせてくれるような、そんな存在を求めていた。 しかしそれは、彼女に戦う事を強いらせた者からなし崩し的に手渡された、胡散臭い゛幸福゛であった。 一度はそれに抵抗を示してしまい距離を取ろうとしたが、結局のところ彼女自身がそれを快く受け入れてしまう。 何故なら、憎い相手から受け取った゛幸福゛は戦う事しかできなかった彼女にとって、唯一の生きがいとなっていたのだから。 常に自分の傍に居続け、喜怒哀楽を共にしてくれる゛幸福゛に、彼女は生き続けていて良かったとその時思った。 日頃から無口であり、時に戦うことあれば生まれた時から持つ力で、獲物を食い散らす獣と化していた彼女。 そのような者が人らしい幸せを享受できるほどに、その゛幸福゛には大きな力があったのである。 しかし、その時の彼女には知る由も無かった。 彼女に戦いを強いらせ゛幸福゛を授けた者が、二人を「教師」と「生徒」という関係で見ていた事。 時が来れば彼女と共に笑う゛幸福゛を、第二の゛彼女゛へと仕立て上げる残酷な事実すらも知らずに、 彼女は゛幸福゛をゆっくりと育て上げていった。すべてを知るその時まで。 そして、全てが手遅れとなってしまった時に真実を知った彼女は、その世界から消え去った。 最初からその世界に存在せず、傍にいた゛幸福゛すら幼少時の幻覚だったのだと思ってしまうほどに… 腰まで伸びた黒髪を持つ女が、川辺に佇んでいる。 身じろぎ一つすることなくまるで時が止まったかのように、その場で静止していた。 川のせせらぎと夜空を隠す木々の葉が擦れる音が、水で濡れた耳に入ってくる。 自然が奏でる癒しの音を聞きながらも紅白の巫女服を身に纏う彼女は、ふと辺りを見回す。 赤と青の月が照らす川岸には、今この場ではあまりにも不気味としか言いようがない光景が広がっていた。 葉と葉が擦れる音を奏でる樹木には赤い血しぶきがこびりつき、艶めかしく赤色に輝いている。 水の精霊が奏でるハープの音色を思わせる綺麗な川のせせらぎを聞く岸辺には、子供ほどの大きさしかない人影が横たわっている。 しかし月明かりに照らされる頭は人のそれではなく、動物や人を群れで襲い食い殺してしまう山犬と酷似していた。 体も良く見れば茶色の体毛に覆われ、犬のそれと同じような尻尾も生えている。 握力を失った手にはそれぞれ剣や槍に斧といった獲物が握られ、少なくともある程度の知能があったのだとわかる。 人々は奴らのような犬頭の亜人を、コボルドという名前で呼んでいた。 本来なら旅人を襲って殺しては身ぐるみとその肉を剥ぎ、時に誘拐すら行う彼らは川岸で事切れている。 その頭に相応しい犬歯が覗いている口からは血を流しているが、不思議な事に目立った外傷は見られない。 目を見開き、驚愕に満ち溢れた顔で死んでいる様は、まるで唐突な発作で死んだかのようだ 一匹だけではなく、何匹も同じ死にざまを見つめる女の眼差しは、氷の様に冷たい雰囲気を放っている。 まるで亜人を単なる畜生としか見てないかのように、彼女はコボルドの死体を見つめていた。 静寂さと自然の音が見事に調和した空間に、不釣り合いな肉片と返り血でもって台無しにした者は誰なのか? この場にいる女はそれを知っていた。知っていたからこそ、その場を動こうとはしなかい。 何故ならば、この殺戮から逃れたコボルドがたった一匹、彼女の目の前にいたのだから。 先程まで生きていた仲間たちと共に女を襲い、そしてボロ雑巾も同然となった犬頭の亜人が。 そのコボルドは、目の前の人間に向かって地を這っていた。 右の手足を失った亜人の這いずる姿は、まるで死に瀕した芋虫のようである。 爆発で吹き飛んだかのような傷口からは今も血が流れ、水を吸って元気に育つ川辺の草を真っ赤に染めていく。 人間ならば出血多量で死んでもおかしくはないが、コボルドの様な亜人たちに人の常識は通用しない。 彼らは時として人を武器や牙で殺すことは勿論、一部の者たちはこの地に眠る精霊の力を借りる事もできる。 最も彼の様な普通のコボルドとその仲間゛だった゛者たちは腕っぷしと人より少し上程度の体力があるだけで、トロル鬼やオーク鬼の様な怪力は持っていない。 頭も翼竜人や吸血鬼の様に賢いとは言えず、ましてやエルフの持つ崇高さすらなかった。 それでも彼らは、コボルドとしての生を誇りに思って生き続け、今日まで戦ってきたのである。 しかしその誇りを抱いたまま、今まで屠ってきた人間の一人に倒されるという覚悟まで背負ってはいなかった。 「…聞きたいことがあるの。言葉が通じるかどうか知らないけど」 戦う意思を失うことなく自分の方へ這ってくるコボルドへ向けて、女は喋った。 二十代後半を思わせる低音と高音が程よく混じった声に、亜人はその場で這いずるのを止める。 少なくとも人語が分かるのかしら?彼女は疑問に思いつつ、今聞きたいことをその場で勝手に喋り出す。 「どうして、私に襲い掛かってきたのかしら?アンタたちの事はおろか、自分が誰なのかすら知らないというのに」 疲労の色が少しだけ見える表情を浮かべた女の言葉には。この場で起きた惨劇の犯人が誰なのかを物語っている。 そう…この綺麗な場所を血に飢えた亜人たちの屍で汚したのは、彼女自身であった。 ◆ 今から数分程前に目を覚ました彼女は何もせずに水辺で佇んでいた所を、コボルド達に襲われたのだ。 死にかけているリーダー格を含めて五体、皆が皆それなりの経験と場数を踏んだ戦士たちであった。 だが…その戦士たちが彼女と戦った結果は、綺麗な水場を自らの血肉で染め上げてしまうだけに終わった。 これまでどおり人間を八つ裂きにしようとした亜人達も、まさかこうなるとは思っていなかっただろう。 何せ一目見ただけでも、この地方では珍しい身なりをした長い黒髪が特徴の人間の女だ。しかも杖の様なものは持っていない。 相手がメイジで無ければ恐れるに足らずという意思でもって、彼女に襲い掛かったのである。それが間違いだとも知らずに。 その後の数分間で、犬頭の亜人たちは一匹、また一匹とただの肉塊へと変えられた。彼女が唯一持っていた゛武器゛によって。 それは剣や鎚も槍でも無く、弓矢やここ最近見るようになった゛銃゛ではなく、ましてやあの魔法を打ち出す゛杖゛でもない。 自分たちが見つけた獲物の武器は、その体から出るとは思えぬ強力な力を宿した゛拳と脚゛だったのだ。 青い光を纏い、目にも止まらぬ速さで繰り出される拳は跳びかかった同胞の胸を貫いた。 同じように発光する足には丈夫なブーツを履いており、それで蹴飛ばされた同胞は気づく間もなく一瞬で事切れる。 突撃した同胞が一気に二体もやられた事に狼狽えた一体が、近づいてきた彼女のチョップで脳天を打たれて死んだ。 四体目はすぐさま自分たちが押されているという事に気づいたが、その直後に頭を横から蹴られ、周囲に脳漿を飛ばす。 そして最後に残ったリーダー格があまりの展開に驚愕しつつも、無意識に手に持った斧を前へと突き出した。 せめて次の攻撃を防いでカウンターを繰り出そうとした彼の考えに対し、目の前にいた女が地面を蹴って距離を詰めてきた。 来るなら来い!覚悟を決めたリーダー格のコボルドであったが、突如として右の手足から激痛を感じると共に、その体が後ろへと吹き飛んでいく。 一体何が…そう思うのも仕方ないとしか言いようがないだろう。 何せ黒髪の女は彼に接近した直後、青く光る左手のチョップでもって亜人の右手足を粉砕したのだから。 まるで林檎を素手で砕いたかの様にコボルドの手足゛だったもの゛が空中へ四散し、塵芥と化して周囲に散らばっていく。 そして自分がどうしようも無い状況に立たされたという事をコボルドが自覚した時、戦いは終わっていた。 否、それを第三者が何も知らずに見ればこんな事を言うだろう―――ちがう、あれは単なる゛虐殺゛だったと。 ◆ 戦いが終わってから、彼女はこんな疑問を抱いていた。 何故自分が襲われたのか、そもそもこの犬頭の怪物たちは何なんのだという事。 そもそも自分は誰なのか、どうしてこんな人気のない所にいたのかという謎を抱えて、コボルド達と戦っていたのである。 もしかすれば、あの犬頭達は何かを知っているのかもしれない…。 そんな考えでもって、致命傷を負い一匹だけ生き残ったコボルドに話しかけたのである。 しかし…少し小突けば死ぬような体で受け答えできるのか、そもそも人間の言葉を解するかどうかも良くわからない。 仮に意思疎通ができたとしても、自分の事を知っているのかもしれないという可能性は、もはや゛賭け゛以外の何物でもない。 それでもやってみなければ分からないという意思での問いかけは、亜人の口を動かさせる事に成功した。 「ウグ…ル…ルル…――――知ラ、ナイ…俺タチモオ前ノ事、全ク知ラナイ…」 片言ながらも喋る事ができたコボルドを女以外の人間が見ていれば、さぞ驚いていただろう。 コボルドは基本人の言葉は分かるが喋る事ができず、意思の疎通がほぼ不可能と言われてきたからだ。 もしもこのコボルドを人目の付かない場所に隔離し、亜人の研究家に見せてやれば泣いて喜ぶに違いない。 だが黒髪の女にとって゛人語を喋れるコボルド゛ということ自体にさして関心はなかった。 大事なのはただ一つ、それは目の前の亜人が゛こちらの質問に答えてくれる゛という事だけである。 そして、先程コボルドが返した言葉で確信し、得ることができた。 この怪物と意思疎通が可能なのだという事と、賭けに失敗したという落胆せざるを得ない事実を。 「あっ、そう…アンタが私の事を知らない、というのならそれはそれで良いわ」 あまり期待はしていなかったし。少し残念そうな声でそう返すと、露出させた両肩を竦めて見せる。 服と別離した白い袖はよく目にする人間の服とは印象が違い、コボルドの目が自然とそちらへ動く。 それを気にもしない女は初夏の風は少し肌寒いと思っていた時、亜人が再びその口を開けた。 「デモ…俺タチガオ前ヲ襲ッタ事…何モオカシイコトジャナイ」 コボルドの口から出たその言葉に、女の目が鋭い光を見せた。 黒みがかった赤色の瞳でもって、瀕死の亜人をそのまま殺さんとばかりに睨みつけている。 しかし体はボロボロでも亜人としてのプライドを残しているコボルドは、それに怖気づくことなく喋り続ける。 「オ前タチ人間、イツモ…平気デ生キ物殺ス…食ベル為ニ…毛皮ヤ角ヲ取ルタメニ…」 ソシテ、単ナル娯楽ノ為ニ――――最後にそう付け加えてから、亜人は一度深呼吸をした。 口を開けて息を吸い、吐き出すたびにヒュウゥ…ヒュウゥ…という背筋を震わせてしまうような不快な音が周囲に響き渡る。 息苦しい事がすぐに分かる呼吸の様子を見つめながら、黒髪の女は喋り出す。 「それと私を襲った事に、何の関係があるっていうのよ?」 「ゥウ…――人間ハイツモ、一方的ニ殺シテイク…俺、ソレガ許セナイ…」 「…だから、人間である私を襲ったって事よね?森を荒らす様な連中の仲間は、死んで当然だという一方的な考えで」 ため息を混ぜてそんな言葉をくれてやった彼女であるが、不思議な事にコボルドは返事をよこさない。 今まで地面を見ていた顔を彼女の方へ向けて、闇夜の中で茶色に光る両目で見つめている。 一体どうしたのかと思った時だ。地面に這いつくばる亜人が一言だけ、こんな事を呟いた。 「ニンゲン…?オマエヤッパリ…ニンゲン…ナノカ?」 質問するかのような言い方に、流石の彼女も目を丸くした。 まるで単なる銅像が「俺は人間だ」と叫んだ瞬間を目撃したかのような、信じられないという思いに満ちた様な言い方。 人間である筈の彼女はそんな風に言われて驚いたのだが、そこから落ち着く暇もなくコボルドは言葉を続けていく。 「最初ニオマエ見ツケタ時…俺タチオマエガ人間ナノカ不思議ニ思ッタ…」 「不思議に…それってどういう意味よ」 目を丸くしたまま動揺を隠せぬ巫女の追及に、コボルドは怪我を忘れたように喋り始める。 「俺タチノ様ナ種族ハ…マズニオイト気配デ…相手ガ何、ナノカ…ワカル。人間ナラ…スグニワカル。 ケド…オ前ノ体カラ滲ム、匂イト気配ハ…トテモ人間トハ思エナカッタ……」 もう残された時間が僅かなのか、喋る合間の呼吸の回数が増えていく。 だけど亜人は喋り続ける。まるで自分を見下ろす女に何かを伝えようとしているかのように。 女は女で微動だにする事無くただ目を丸くして、自分が人間なのか疑問を覚えた奴の話を黙って聞いていた。 そして…その命も風前の灯火同然となったコボルドは、本当に言いたかったことをようやっと口に出し始める。 「アレ、最初…ニ感ジ、タ時…俺、身震イ、シタ…。デモソ、ノ姿見タ時、スゴク…驚イタ。 オマエ、人…間ナノニ何デ体ノ中ニ血生臭イ溜マッテル?何デ自分デ…気ヅカナイ? 良ク、イル…人間、ハソンナ…匂イ出サ、ナイ………オシ、エロ…オマエ――――――ニンゲ…ンジャ」 ――――――――ニンゲンジャ、ナインダロ? それを最期の一言にしたかったコボルドはしかし、その言葉を口に出せなかった。 いや、正確にいえばそれを発言する前に止められた…と言えば正しいのだろうか? 体力はあとほんの少し残っていただろうし、喋ろうと思えば簡単に喋れた筈だ。 けどそれでも言う事が出来なかったのかと言えば、たしかにそれを言う事はできなかったであろう。 何故なら最期の一言を口から出す前に、コボルドの頭は踏み潰されたのだから。 赤い目を真ん丸と見開き、その顔に動揺を隠し切れぬ巫女のブーツによって… 街の靴屋でもそうそうお目に掛かれない様な実用性に優れる黒いソレの下には、見るも怖ろしい肉片が散乱していた。 紅い肉片がこびりついた茶色の毛と辺りに散らばった汚れた犬歯に…川の方へと転がっていてく一個の眼球。 まるで持ち主の魂が宿ったかのような黄色の球体はそのまま川へと入り、流れに乗って何処へと流れていく。 もう片方の眼球は、頭を踏み抜いた女の足元でその動きを止めた。まるで持ち主を殺した相手を睨みつけるように。 先程まで生きていた命を自らの手で紡いだ黒髪の巫女は横殴りに吹く夜風に当たりながらも、ゆっくりと思い出していた。 それは急所を潰されて息絶えた亜人の口から放たれた、自分に関する言葉の数々である。 「人間…だったのか?…体の中から…血生臭い匂い…」 まるで録音したテープを巻き戻し、再生するかのように生前のコボルドが口にした言葉を喋りなおす。 相手の頭を踏み潰した足を動かせぬまま、彼女は一人呟きながら左手で自分の胸に触れた。 白いサラシと黒のアンダーウェア、そして赤い上着越しに感じられるのは控えめに見えて少し大きな感触と僅かな温もりだけ。 そこから上下左右に動かし力を入れようとも、亜人の言ったような゛血生臭い゛匂いなど漂ってこない。 「まぁ当たり前なんだろうけど…さぁ――――ん?アレ…っえっ?」 我ながら阿呆な事をしていたと軽く恥じつつ手を下ろした時、彼女はある事に気が付いた。 最初はその゛気づいたこと゛にキョトンとした表情を浮かべたが、次第にその顔色が悪くなっていく。 先程と同じように目が見開いていき、胸に当てていた左手で口元を隠した彼女の額からは、ゆっくりと冷や汗が出てくる。 取り返しのつかない事をしたのに後々気づいた人間が浮かべる様な表情を見せる女は、自分が何をしたのか今になって気が付いた。 どうして、死ぬ寸前のヤツをわざわざ念入りに殺したの? しかしその事を問いただす言葉は、彼女自信の口ではなく―――彼女の頭上から聞こえてきた。 少なくとも彼女の少ない記憶には覚えのない、低く太い女の声が、血肉に塗れた川辺に響き渡る。 「はっ――――…なっ…!?」 突然の事に多少驚いた彼女はその場で振り向いて顔を上げ、そして驚愕した。 こちらを見下ろす低い声の正体を見れば、きっと誰もが彼女と同じ反応を見せたであろう。 彼女から一メイルほど離れた場所に、黒い服を纏った見知らぬ長身の女が佇んでいたのだ。 いつの間にかいた相手に驚きを隠せなかった彼女であったが、それと同時に相手が゛長身゛という単語では表現できぬほど大きい事に気づく。 幾ら世界広しと言えども、八尺もの背丈を持つ人間などいる筈もないのだから。 八尺の女はその体に相応しい位に伸ばした黒髪の所為で、どんな顔をしているのかまでは分からない。 だけどそれを見上げる彼女はあの低い声の主がコイツなのだと知っていた為、少なくとも美人ではないだろうと予想していた。 「何よ、コイツ…一体いつの間に」 突如現れた八尺の女に狼狽える事を隠せぬ彼女は、問いかけるような独り言を口から漏らす。 無理も無い。何せ自分よりも数倍ほどの身長を持つ人間を前にしているのだから。 周囲が暗い事もあって全体像が不鮮明すぎる八尺の女は、何も言わずに佇んでいるというのもより一層不気味さを増している。 理由もわからずにして起こった異常事態にどう対処すればいいのかと女が考えようとした時、再びあの低い声が聞こえてきた。 「――――の巫女だから?使命だから?鬱陶しいから?……それとも―――――」 「それとも…」という所でふと喋るのをやめた相手の言葉の一つに、彼女はキョトンとした表情を浮かべる。 巫女って言葉は…何かしら?他とは違い、明らかに何かの意味がありそうな単語に、彼女は疑問を感じた。 「――――…っ!」 その『何か』が気になって質問しようとした直前、八尺の女が唐突な動きを見せた。 文字通り八尺もの長さがある体の丁度真ん中部分が、音を立てずに折れ曲がったのである。 まるで細い切り枝を片手で折った時のように、アッサリと行われた行為に驚かぬ人はいないであろう。 その内の一人である彼女もまた例外でないようで、口を小さく開けて放心寸前にまで驚かされた。 ましてや、折れ曲がった八尺の女の顔が丁度彼女のすぐ上にまで近づいてきたのだから余計に驚いたであろう。 だがしかし、自分の体が折れた八尺の女はさも平気そうな様子で彼女のすぐ頭上で口を開き…囁いた。 「私たちを殺すのが―――とっても、楽しいから?」 その言葉が聞こえた瞬間、彼女は見た。醜く傷ついた女の顔を。 まるで金槌を何度も叩きつけられたかのように腫れあがって紫色の腫物となり、顔を大きく見せている。 口の端から流れ落ちる一筋の血はどす黒く、体液ではなく瘴気を吸収した毒の水にも見えた。 目を背けたくなるモノという言葉は、きっとこういうモノを目にしたときに使えばいいのだろうか? そんなどうでもいいことを考えている彼女の事など見ず知らず、醜悪な面を向ける女が口を開く。 まるで決壊した水門から土砂交じりの水があふれ出すようにして、黒に近い血がこぼれてくる。 「私だッて生きてテいタい――デもおマえは殺しタ」 そんな事を言ってきた時、彼女はある事に気が付く。 口から大量の血を吐き出しながら喋る女の眼窩には、本来あるはずの目玉が無かったのである。 ぽっかりと空いた二つの暗く小さな穴は不気味であり、まるで亡者を引きずり込む地獄へ直結しているかのようだ。 取れた眼球はどこへ行ったのかという疑問など湧いてこず、彼女は何も言えずに八尺の女の前にいる。 ただただ息を呑み赤い目を見開くその顔には戦慄に満ちた表情が浮かび、これからどうなるのかという不安を抱いていた。 「オまエはもう引キカエせナい。ズっとずットオまエは誰カを傷つケなガラ生きテいク」 潰れた蛙の様な声で喋る度に痣だらけの顔が溶けていく中で、八尺の女は窪みしかない眼窩で目の前の相手を睨み続ける。 コボルドと対面していたときの態度は何処へやら。今の彼女はまるで壁の隅で縮こまる軍用犬であった。 彼女は恐かった。目の前にいる得体の知れない女が、自分が忘れてしまった事を知っているようで。 同時にそれを口にし続けられ、自分が忘れていた事を思い出してしまう事の方が、何よりも怖かった。 知ってしまえば、何をしてしまうのかわからない。きっと良くない事が起こる気がする。 そうなる確証は無い。しかし本能が訴えているのだ。聞き続けるな、何としてもヤツの口を黙らせろ、…と。 「ソうシておマえハ血ノ道ヲ作リ続け、怨嗟ト憎悪に満チた私タちがそノ道を通っテいク…おマエを、ずっト呪イ続けルたメに」 酷く崩れていく八尺の女を前に、首を横に振りながら彼女は後ろへ後退り始める。 その顔を見れば逃げようとしているかのように見えるだろうが、実際はそうでない。 だらんと下げていた左手の拳にゆっくりと力を込めて、攻撃に移ろうとしているのであった。 後ろへ下がるのは距離を取るためであり、彼女自信ここから逃げようという気など微塵も無かった。 コボルド達を倒したという事もある。顔を狙えば一発で黙らせることができる。 そんな自身を抱きながら、彼女は心の中で拒絶の意思を述べる。自らが忘れてしまった゛何か゛へ… もう聞きたくないし、知りたくも無くなった…だから、私の目の前から消えてくれ―――― そんな事を心の中で思い立ながらも、彼女は思う。 先程まで知りたかった事実をアッサリと拒否する事は、いささか可笑しいものがある。 それでも彼女は拳を振り上げた。嫌な事全てから目を背けるようにして、青く光る゛キョウキ゛で殴り掛かろとした。 「貴女は昔からその調子ね。口下手だからすぐに拳が出る。それが貴女の良くない癖よ?」 その瞬間であった。自分の真後ろから、何処かで聞いたことのある別の女の声が聞こえてきたのは。 硝子で作られたベルが奏でる音の様に透き通った声色に、彼女はある種の゛懐かしさ゛というものを感じてしまう。 目の前いるおぞましい相手をすぐ殺そうとしたのにも関わらず、振り上げた拳が頭上でピタリと止まる。 そして、拳を包む青い光が消えたと同時に彼女はソレを下ろしてから、後ろを振り向く。 「けれど貴女はハクレイの巫女。時にはその力でもって、聞き分けのない連中を捻るのも仕事なの」 そこにいたのは…白い導師服を身に纏う、微笑を浮かべる金髪の女性だ。 腰まで伸ばした髪に青い前掛け、そして夜中だというのに差している導師服とお似合いの真っ白な日傘。 まるで絵画の中からと飛び出してきたかのような絶世の美女が、いつの間にか後ろに立っていた。 振り返った彼女がその姿を目にして驚き、同時にどこか゛懐かしいモノ゛を感じ取った瞬間、目の前を暗闇が包んでいくのに気が付く。 あぁ―――意識が落ちているのか。 それに気が付いた瞬間、彼女は深い眠りについた。 晴れた日の夜風は、どの季節でも体に良いものだ。ピンクのブロンドを持つ彼女はそんな事を思う。 ちょっとした事故で馬車が止まった時はどうしようかと思ったが、思わぬ幸に巡り会えたのは奇跡と言って良い。 もう半年したら少しだけ切ってみようかと考えている髪を撫でていると何を思ったのか、窓からひょっこりと顔を出してみる。 馬車に取り付けられたカンテラの下で見る林道は何処となく不気味であるが、怖いとは思わない。 彼女自身気の抜けた性格の持ち主という事もあるのだが、何よりも傍に数人の従者たちがいるのも理由としては大きい。 遠出の護衛としてついてきた彼らは、王宮勤務の魔法衛士たちとよく似た姿をしている。 その姿に負けぬくらいに凛々しく忠誠心溢れた彼らは、彼女の乗る馬車の周りに集まっていた。 理由は一つ。それは道の真ん中で立ち往生している馬車を、なんとか動かそうとしている最中であった。 今から数分前に、とある場所を目指していた彼女の乗った馬車が、突如大きな揺れと共に止まったのである。 何事かと思い車輪を調べてみたところ、どうやら林道の真ん中にできた窪みに右後ろの車輪が嵌ってしまったらしい。 馬車を動かしているのは人型のゴーレムだという事もあって、護衛達が窪みから車輪を出す事となった。 「良し、私の合図で二人が車輪を浮かして…私と残りの三人で馬車を前に押す。分かったか?」 護衛部隊のリーダーである太い眉が目立つメイジがそう言うと、他の五人のメイジは無言で頷く。 主人であるピンクブロンドの女性を守るために訓練を積んだ彼らは、王宮の魔法衛士隊と戦っても引けを取りはしないだろう。 引き締まった表情と、不用意に近づいてきた相手を斬り殺さんばかりの緊張感を体から出している彼らには、それ程の自負があった。 そんな時、窓から顔を出して様子を見ていたピンクブロンドの女性がその顔に微笑みを浮かべて言った。 「ごめんなさいね。本当なら私たちが馬車から降りた方がもっと軽くなるのに…」 敬愛する主からそんな言葉を頂いた六人の内、太眉の隊長が慌てた感じですぐに返事をする。 まるで神話に出てくる女神が浮かべるような優しげな笑みを見れば、誰もが口を開いてしまうだろう。 「えッ…!あっ、いえ、そんな、私は貴女様からのお気遣いだけで充分であります故!」 「そう?でも無理はしないでくださいね。貴方達の歳なら人生これからっていう時期なんだし」 隊長格のお礼を聞いて女性はそう答えたが、その言葉には何か違和感の様なものがある。 外見は隊長格やほかの護衛達よりも年若いだろうに、まるで自らの死期を悟った老人だ。 「それじゃあ、申し訳ないけどお願いね」 彼女はそれだけ言うと頭を引っ込め、座り心地の良い馬車のシートに腰を下ろす。 それを見て向かい側にいた眼鏡を掛けた侍女が、申し訳なさそうに口を開いて言う。 「主様…言いにくいのですが、あのような弱気の言葉を吐かれては、また体調が悪くなってしまいますよ?」 主治医殿もそう言っていたではありませんか。最後にそう付け加えて、侍女は主と慕う女性に苦言を告げる。 人付き合いが好きなピンクブロンドの主はその言葉に軽く微笑みと共に、言い返してきた。 「ふふふ…心配ご無用、私はそう簡単に死にはしないわ。逆にこういう事は軽いジョークで言うのが良いのよ」 主治医殿がそう言っていたわ。先程侍女が口に出した事を真似た様な言葉を付け加え、主はカラカラと笑う。 その雰囲気と元気に笑う姿と表情だけを見れば、彼女を知らぬ人間は思いもしないであろう。 絵画の中から出てきた女神のような美貌の持ち主が、複雑な重病を患っていると… それから数分も経たぬうちに、馬車は再び走れるようになっていた。 主と侍女の乗る御車台を引っ張る馬たちを離してから御車台そのものを魔法を浮かせる。 後は窪みから離れた場所で下ろし、再び馬たちを御車台を引かせる…という作業は、思いのほか短い時間で済んだのだ。 「良し、これでもう大丈夫だな」 窪みに嵌っていた車輪に異常が無い事を確認した隊長格は、覇気のある声で一人呟く。 他の護衛達は後ろに待機させている馬に跨っており、窪み自体も土を被せて塞いである。 自分たちだけではなく、後からここを通る人たちの事も考えての事であった。 窪みがあった場所は何回か踏んで安全を確認した後、隊長格は手に持った地図を見る。 場所のカンテラを頼りにこの土地の事を調べた後、彼は馬車の中にいる主へと声を掛けた。 「カトレア様。この先を行けば宿のある村に着くそうです。今夜はもう遅い故、そこで一旦足を止めましょう」 狼の遠吠えが何処からか響く森の中、カトレアと呼ばれたピンクブロンドの主はゆっくりと頷く。 地図を見れば自分が行きたい場所とはまだまだ離れている。しかし、それもまた長旅の醍醐味と言えよう。 「どんな事でも一歩…また一歩と、ゆっくり楽しみながら進む事が肝心なんだと…私は思うのよ」 例え目的地が遠くともね。そんな一言を呟き、カトレアは微笑んだ。 深夜の闇には、不気味な何かを感じてしまう。 そんな事を最初に思ったのが五つの頃で、今からもう七十年近く経っても変わらない。 気を抜けば窓越しにみる森の中から何か現れるのではないかという妄想を、抱き続けている。 たかが妄想と若者や町から来る人々は言うかもしれないが、それを妄想と言い切る証明は無い。 どんなに否定しようとも、世界は不思議に満ちているのだ。それが目に見えぬものだとしても。 「いや、目に見えるモノの方がいいのかも知れん。不可視のモノに怯え続けるよりかは…」 老人は胸中で見らしていた言葉を呟いてから、コップの底に残っていた水を勢いよく飲み干す。 木々に囲まれた家の中から見る森というのは木季節に関わらず不気味なもので、常に嫌な妄想を抱かせてくれる。 ここから少し離れた所には他の人たちも住んでいて賑やかなのだが、今更あの土地に新居は作れはしないだろう。 最も、ずっと昔の先祖から引き継いできたこの土地を手放す事など、彼はこれっぽっちも考えてはいない。 不気味ではあるがそれなりに住みやすい場所だし、何より静かな土地だというのも気に入っている理由だ。 「こんな場所、俺が死んだあとは若い連中が入ってくるんだろうなぁ…」 老人が孤独死した、魔の土地として…ため息交じりに呟き、テーブルにコップを置いてカンテラの灯りを消した。 今年で七十五、六という年齢に入った彼は、とても老いた者とは思えぬ体躯の持ち主であった。 無論、若かりし頃と比べれば大分劣ったと彼自身も自覚するが、山で仕事をするには十分の体力は残っている。 街で見かけるような同年代の老人たちと比べれば驚くことに、彼の体は四十代後半くらいの若さと力を保っていた。 それだけあれば木を伐採するための斧や鉈を片手で持てるし、丸太を背負って家と山を一日に何回も往復できる。 文明圏で暮らす人々が想像するよりも、山というのは過酷な場所だ。 老人の体が年齢不相応な力を保持し続けているのは努力ではなく、ここで生きていく為の証明であった。 家の灯りを消し、何回も補強したドアの鍵が閉まってるかどうか確認してから、彼は寝室へと足を運ぶ。 何回も踏み続けた廊下の床が軋む音を上げ、暗闇に包まれた家の中に外の不気味さを持ち込んでくる。 台所とリビング、そして玄関があるリビングから入れるこの廊下はそれ程長くは無く、三十秒もあれば奥にある裏口へとたどり着ける。 その間にあるのは彼の寝室と、ワケあって掃除したばかりの物置部屋へと続くドアがあるだけ。 本当なら寝室に入ってベッドに潜り込みたいところだが、その前にある物置部屋に行く必要があった。 別にその部屋に寝室のかぎが置いてあるワケではない。ただ、つい最近ここに回い込んできた゛少女゛の様子を見る為である。 「ん……明りが?」 廊下を歩き始めて十秒もしない内に、彼は物置部屋へと続くドアの下から小さな光が漏れている事に気づく。 ぼんやりとドアの下を照らすそれを見てしまえば安堵感よりも、更なる不安を感じてしまうだろう。 少しだけ臆病な老人がその明りに気が付き、一瞬だけ足を止めてしまったのもそれが原因だ。 しかし、彼は小さなため息をつくと再び足を動かし、ついでそのまま物置部屋のドアをゆっくりと開けた。 その先には、古びたソファに腰かけて窓の外を見やる幼い少女がいた。 「ニナ…まだ起きてたのか?」 寝てなきゃ駄目だろう。叱るとは言えぬ声色で呼びかけると、ニナと呼ばれた少女が老人の方へと顔を向ける。 あどけなさが色濃く残るぬいぐるみの様に愛らしい顔に、キョトンとした表情が浮かぶ。 ベッド代わりのソファに膝を乗せて夜空を見上げる体は年相応でまだまだ人として未発達だ。 世の中にはそういうのを好む男性が数多く存在するが、幸いな事だが老人にそのような嗜好は無い。 それよりも今の彼が気にしている事は、まだここに住み始めてから間もないこの子が未だ起きている事だった。 「子供はもうとっくの前に寝てないと体があんまり育たたんぞ、知らんかったのか?」 今みたいに夜更かししてたら、全然大きななれんぞ。一人呟きながらも老人はソファの下にあるカンテラの灯りを消した。 文明の光は呆気なく消えたが、それを待っていたかのようにニナと呼ばれた少女が言った。 「さっきね、二ナの事を窓から迎えに来てくれる黒い人の夢を見たの。不思議でしょう?」 アタシ、何も覚えてないのにね。楽しそうに喋る彼女の頭を、老人はそうかそうかと返しながら撫でる。 この世界には不思議な事などいくらでもあるが、それと同じか…あるいはそれ以上に色々な事柄で満ちている。 幸せな事、優しい事、美しい事、悲しい事、血生臭い事、怖い事、忘れてしまいたい事、そして―――――残酷な事。 七十年も生きてきた老人は思いつく限りの事柄を経験してきたし、どんな人間でもいずれは体験せねばならない事だと思っている。 しかし始祖ブリミルよ、これは残酷ではないだろうか?こんな小さな子に、親も帰る場所も忘れさせるなんていう…残酷な事は。 村の医者に記憶喪失だと告げられた少女の頭を撫でながら、彼は心の中で毒づいた。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページゼロの社長 所変わって、ここはトリステイン魔法学院内にあるルイズの部屋である。 強引かつ強制的な契約により,ルイズの使い魔となった(された)海馬であったが ルイズとコルベールから一通りの説明は受けたものの、今の現状が全くつかめずにいたので、 とりあえず頭の中で整理する事にした。 (遊戯とのデュエルの最中に現れたあの奇妙な鏡。あれがこの小娘の言うところの召喚のゲートとやらであろう。それにしても魔法のある世界とは…。) 海馬は過去に自分が体験した仮想現実のことやドーマとの戦いのときに垣間見た デュエルモンスターズの世界のこと、ファラオの記憶の中の古代エジプトのこと。 (感覚からすればデュエルモンスターズの世界に一番近いか…しかし、戻る手段が無いとは…) コルベールの説明によれば、契約した使い魔を送り返す方法など無い。使い魔か主のどちらかが死ぬまでこの契約は続く、故に送り返す必要が無かったために その魔法も全く研究されなかったという事である。 (なりゆきとはいえ、こう何度も異世界に飛ばされると驚きもなくなってしまうな。しかし、まずはもとの世界に戻る方法を探さなくては…。) 「あーもうっ!黙ってないでなんか喋りなさいよッ!」 海馬がまたもとの世界に戻る方法を考えはじめたころ、ついに沈黙に耐えられなくなったルイズが口を開いた。 「説明してるときも『ふぅん』だの『ほぉ』だの『なん…だと…』だの偉そうな態度で聞いてるかと思えば、 説明が終わるったあとはずっと黙りっぱなしでなんかずっと考えてるし! あんたは…っそ、その…わたしと契約したんだから、私の使い魔なのよ! 私がご主人様であんたは使い魔!使い魔なら使い魔らしく、私のことを無視してずっと考え事なんてしてないでよ!」 ぜーっ…ぜーっ…と勢いよくまくしたてるルイズ。しかし目前にいる海馬はといえば、 「勝手なガキだ。一方的に呼びつけて強引にこんなものを刻み付けるのを契約とは。 身勝手にもほどがある。俺は貴様の使い魔になど、なった覚えも無ければするつもりも無い。」 つまらなそうにルイズを一瞥してはき捨てるように言う海馬。 最も彼の言い分は正しい。強制的に連行し、もといた場所には一生戻さない。お前は永遠に自分の下で働け。 使い魔召喚とは人間を相手にしてみればこういうことを言っているのと同義である。 普通なら納得できるはずが無い。しかしルイズからしてみれば、自分がせっかく成功させて召喚した使い魔が、 自分の言う事を聞かずに反論してくる状況に納得は出来ない。 「何言ってるのよ!そのルーンが契約の印!それが刻まれている以上あんたは私の使い魔なの!」 「ふん。俺は、いや、たとえお前が別の何かを召喚したとしても、殆どの者がお前には従わん。身の程を知れ!」 「なっ…なっ…?」 ルイズは過去、自分の事を馬鹿にされた事はあれど、ここまでの侮蔑を受けた事は無かった。 それゆえに海馬の発言に言葉を返す事が出来なかった。 「他者の上に立つということは、自分自身の力量だけでなく、頭脳の回転の速さ、人望などが必要だ。 貴様のようにギャ-ギャ-とわめくだけで何を示すでもなく主を名乗る、そんな子供になど誰がついてくるものか! ましてや,俺は他者の指図など受けん!」 ルイズは絶句した。 いや,反論しようにも言葉が出ない。平民にここまで言われて、 「平民の癖に、貴族に対してなんて口の聞き方を!」と反論しようにも、貴族としても自分は魔法を成功した事が無い『ゼロのルイズ』 その程度の実の無い反論では同じことで論破される。 それでも,目の前のこの男に対して何とか言葉を紡ごうとしてもまとまらない。 言葉にできない。 むしろ恥かしいとさえ思えてくる。自分は使い魔との契約を軽軽しく見ていたのではないか。 召喚さえできればあとは勝手に使い魔が動いてくれる。 そんな風に考えていたのではないか。 違う メイジにとっての使い魔は『一生の僕であり、友であり、目で耳である』 そう,一方的な奴隷ではないのだ。 (それなのに…私は…っ!) 知らず知らずの内にルイズの瞳からは涙があふれていた。 自分のメイジとしての力量の無さに。 自分の使い魔に対する浅はかな考えに。 どうすればいいのかわからない悔しさに。 「どうすれば…いいのよ…?魔法が成功しないから…一生懸命勉強したっ! それなのに!魔法は成功しない!成功率『ゼロ』!『ゼロのルイズ』! クラスのみんなにも馬鹿にされてっ!せっかく召喚した使い魔にまで拒絶されて!それじゃあ私はどうしたら良いのよっ!」 涙に濡れた顔をぬぐいもせず海馬に食いかかるルイズ。 わからない!どうすればいい!誰か答えて!おしえてよ! 私はどうすればいいの!? 「なに勘違いをしている?」 「ふぇ」 「貴様は今、魔法が成功しないといった。では、どうしてこの俺がここにいる? それは貴様の召喚魔法が成功したからではないのか?」 そうだ。 ここに海馬がいる以上、ルイズのサモンサーヴァントは成功している。 そう、ルイズの魔法は成功しているのだ。 「私の…魔法…?」 「俺はこの世界の魔法とやらの知識は無い。だが、俺がここにいる以上、貴様の魔法は成功しているのだろう? 俺にとっては迷惑この上ない魔法だが、成功した以上、お前は『ゼロ』ではないだろう。」 「私は…ゼロじゃ…ない?」 「少なくとも1は成功した。ならそれが2にならないとどうして言い切れる? 貴様は既にゼロではない。ならば次はさらに前へと進むのみだ。 全力で、貴様の目指す未来へのロードを突き進め。そして,前へと進む気があるのならば…」 海馬はそこで区切り,ルイズを正面から見据え 「俺は貴様を助けてやる。怠惰に現在を食いつぶし、我侭を言うだけのガキには興味は無い。 が、貴様は既に目指す場所を見つけているのだろう。そして貴様の進む道のりに、 俺の力が必要だというのなら、俺は力を貸してやる。 俺は貴様の『使い魔』なのだろう?」 まっすぐな瞳で見つめてくる海馬 そう、海馬は確かにこの理不尽な契約に怒りを覚えていた。 だが、決して海馬はただの自分勝手な男ではない。 異世界に召喚され、使い魔として契約させられる。それだけでも怒りを覚えるというのに、 その主と言い張るルイズは、何を示そうともしない。 そんな一方的な押し付け、子供の我侭に付き合っている暇などない。 …だが、もしルイズが自分で道を歩こうとするのなら。 そこに自分の手が必要とするのなら。 いつのまにか止まっていた涙 ルイズはその瞳に答え、まっすぐに海馬を見つめ 「我が名は、ルイズ・フランソワーズ・ド・ル・ブラン・ラ・ヴァリエール。」 そう、これこそが本当の使い魔との契約。 同じ道を進み、同じ未来を見据えるもの同士の契約。 「五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我が使い魔となせ」 その呪文とともに口付けをするルイズと海馬。 ルーンは既に刻まれている、故に肉体的変化は起こらない。 だがそれでも、ルイズと海馬の間に小さな、目には見えない絆という契約が生まれたのだった。 「これからよろしくね、セト!」 「いいだろう、ルイズ。元の世界に戻るそのときまで、貴様と共にいてやろう。」 前ページ次ページゼロの社長
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第零章 くちづけよりも熱い左手 一 ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは今まさに、人生の転機を迎えようとしていた。 サモン・サーヴァント。すなわち使い魔召喚の儀式である。 召喚された使い魔は主人と一生を共にするのが定め。 使い魔次第で、主人のメイジとして、また貴族としての人生はどうにでも左右するのだ。 失敗は、許されない。 「宇宙の果てのどこかにいる、私の下僕よ! 強く、美しく、そして生命力に溢れた使い魔よ! 私は心より求め、訴えるわ。我が導きに応えなさい!」 ――呼びかけに応えたのは、いつもの爆発だった。 周囲を包むのは「あぁ、やっぱりな……」という空気と、言うまでもないが爆発による煙。 だが、失敗ではない。 ルイズは確かに、いつもとは違う手応えを感じていたのだ。 煙が、晴れる。 ……そこには何も無かった。 ――いや、よく見れば一振りの剣が転がっている。黒い鞘に納められた、細身の長剣。 それ以外は、何もない。 「さすがゼロのルイズだ、生き物ですらないとはねぇ! くっくっ」 「使い魔の分も自分で働けって事じゃない? あの剣使って」 「逆に考えるんだ。実は召喚に成功したんだけど今の爆発で吹っ飛んでしまった、と考えるんだ」 そんな嘲笑混じりの野次が飛び交うも、当事者たるルイズは涼しい顔で聞き流していた。 生き物ではない? だからどうした。 使い魔の分も自分で働け? 大いに結構! ――この剣は、紛れもなく私が召喚したものなのだ。 『ゼロのルイズ』などという不名誉極まる異名で呼ばれるのも今日で終わり。 とにもかくにも、この私が初めて魔法に成功したのだ。 それで出て来たのが剣だと言うのなら、私はこのハルケギニアで最強の剣士にだってなってやる! 剣などほとんど触れたこともないが、今から習い始めることだって今の私には苦にはならないだろう。 あぁ、いっそメイジなどよりそちらの方が向いているかもしれない。 表情とは裏腹に、彼女の心は激しく高揚していた。 一分一秒でも早く契約してしまわなければ、血管が破裂しかねないほどに。 しかしそれでも、何故か声だけは冷静そのものだった。 「ミスタ・コルベール。使い魔は生物でなければならない、という規則は有りませんでしたよね?」 禿頭の教師は即答した。 「もちろんだ。君の召喚にその剣が応え、この場に現れた以上、その剣が君の使い魔となる。 その剣は紛れもなく君の使い魔だよ、ミス・ヴァリエール」 ルイズは満足げに微笑んだ。 「では、コントラクト・サーヴァントを行います」 悠々と剣に歩み寄り、拾い上げた。 ルイズの口からほう、と溜息が漏れる。 遠目では気付かなかったが、黒い鞘には目立たないように複雑な模様が彫り込まれている。 製作者の優れたセンスを感じさせる、素晴らしい物だった。 これは蛇……いや、竜の一種だろうか? 架空の幻獣か、それとも―― (……まぁ、いいわ。後で調べてみましょう) 本の虫のタバサなら何か知っているかもしれないし。 ともかく、今は契約が先だ。 静かに、しかし力強く、ルイズは呪文を唱え始めた。 「我が名はルイズ。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール」 右手に杖、左手に剣。鞘を掴み、柄の方を上に。 「五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の使い魔と為せ」 杖の先で柄に軽く触れ、ゆっくりと顔を近づけ―― 唇が触れる。 ――そして、ルイズは爆煙に包まれた。
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前ページ次ページゼロ・HiME 「この学院で教えているのは魔法だけじゃないわ。メイジはほぼ貴族で『貴族は魔法をもってしてその精神となす』のモットーのもと、貴族たるべき教育を受けているの。だから、ここも貴族の食卓に相応しいものでなければってことね」 寄宿舎から学院で一番高い中央の本塔にある食堂につくと、物珍しそうに食堂を見回す静留に向かってルイズは得意げに説明する。 「凝った内装やらテーブルの上にある豪華な料理からしてそんな感じやね……ほな、うちは外で待ってますわ」 「えっ、なんでよ?」 「テーブルの上の豪勢な食事は貴族さん達のためのものですやろ。平民でしかも使い魔のうちが同席するわけにはいかんと思いますよって」 静留の言葉にルイズはしまったという表情を浮かべる。昨日は召喚に成功したことで頭がいっぱいで静留の食事の手配を忘れていたのだ。まともに使い魔の食事も用意できないなんて主人としての沽券に関わる。 「どうしたらいいかしら……そうだ、ちょっとそこのあなた!」 ルイズは少し思考した後、配膳のために傍を通ったシエスタに声をかける。 「はい、なんでしょうか? あ、シズルさん」 「仕事中どすか、シエスタさん」 静留が気づいて駆け寄ってきたシエスタに声をかけると、ルイズが怪訝な表情でたずねる。 「ん? シズル、なんで名前知ってるの?」 「ルイズ様を起こす前、洗濯しにいった時に知りおうたんどす」 「ええ、そうなんです。それで何のご用でしょうか、ミス・ヴァリエール?」 「実はシズルの食事のことなんだけど。厨房の方に話して手配しておくのを忘れてしまって……悪いんだけどシズルに何か食べさせてあげて欲しいの」 シエスタに用件を尋ねられ、ルイズが言いずらそうに答える。 「ああ、それなら余り物で作った賄いでよろしければ」 「それでいいわ。お願いね、シエスタ」 「はい、お任せください。では、シズルさん、こちらへ」 「ルイズ様、食事終わったらすぐ戻ってきますさかいに」 ルイズに一言断ると、静留はシエスタの後について厨房に入っていった。 「ごちそうさんどす、シエスタさん」 「いえ、どういたしまして。食事の際は遠慮なくおいでくださいね、シズルさんの分をちゃんと用意しておきますので」 厨房で出されたシチューとパンを平らげた静留が礼を言うと、シエスタは照れたようにはにかむ。 「コック長のマルトーさんどしたか、このシチューや食堂の料理といい、ええ仕事してはりますな」 「おっ、うれしいこと言ってくれるじゃねえか、お嬢ちゃん! 気に言ったぜ、飯以外にも何か困ったことがあったらいつでも来な」 静留の賛辞に恰幅のいい中年のコック長のマルトーが、上機嫌で笑って答える。 「そうどすか。そんの時はよろしゅう」 「おう、いいってことよ。平民は平民同士、助けあわねえとな!」 「そうどすな。ほな、うちはルイズ様のとこに戻りますわ」 静留はマルトーの言葉に答えて一礼すると、食事が終わったルイズと合流して教室へと向かう。 ルイズが静留を連れて教室に入ると、先に来ていた生徒達から一斉に無遠慮な視線が飛んできた。 あからさまな嘲笑や囃し立てる声が沸き起こるが、ルイズはムッとしたように顔をしかめただけで、そのまま無視して席についた。その横に静留が立って控える。 (しかし……ほんに使い魔いうんは化け物やら動物しかおらへんのやね) 周囲の使い魔を見回し、改めて自分が召喚されたのは普通ではないのだと静留が思っていると、教室の扉を開いて教師が入ってきた。 「みなさん、春の使い魔召喚は大成功のようですね。このシュヴルーズ、こうやって春の新学期に様々な使い魔たちを見るのがとても楽しみなのですよ」 中年のふくよかな女性教師――シュヴルーズが教室を見回して満足そうな表情でそう言うと、ルイズは気まずそうにうつむく。 「おやおや、また変わった使い魔を召喚したものですね。ミス・ヴェリエール」 シュヴルーズが静留を見てとぼけた声でいうと、教室中から笑い声がおきる。 「おい、ルイズ! 召喚できないからってその辺に歩いていた平民の女を連れてくるなよ」 「違うわよ、きちんと召喚したもの! 喚んだのがたまたま平民だっただけよ」 「嘘つくな、『サモン・サーヴァント』ができなかっただけだろう?」 からかった生徒とルイズとの間でたちまち言い争いになるが、シュヴルーズはからかった生徒の口を塞いで強引に場を収め、授業を再開させた。 「シズル、魔法の授業なんか聴いてて楽しいの?」 授業中、シュヴルーズの講義を興味深そうに聞いている静留を見て、ルイズが不思議そうに尋ねる。 「そやね、自分が知らん知識を見聞きするんは楽しいおすな。まあ、元のとこでも学生どしたから、懐かしいんのもあるかも知らんけど」 「そう……」 どこか遠い目をして答える静留にルイズは何も言えず黙り込む。 (そういえば恋敵に好きな人を託して死んだって言ってたっけ……その人のことでも思い出してるのかしら) そんなことをルイズが考えている間にも授業は進み、錬金で小石を金属にする実習が行われることになった。 「……では、ミス・ヴァリエール、あなたにやってもらいましょう」 「え、私ですか?」 「そうですここにある石ころを、金属に変えてごらんなさい」 突然、指名されたルイズがうろたえて視線を彷徨わせていると、キュルケがシュヴルーズに声をかける。 「先生、危険です。やめといたほうが……」 「錬金に何の危険が? それに失敗を恐れていては何も変わりません。さあ、ミス・ヴァリエール、やってごらんなさい」 「やります」 キュルケの忠告は聞き入れられず、実習をすることになったルイズは硬い表情で石の置かれた教壇の前に向かう。周囲の生徒が一斉に慌てて机の陰に隠れる。 「ミス・ヴァリエール、緊張せずに錬金したい金属を思い浮かべばよいのです」 「はい」 シュヴルーズに後押しされたルイズは呪文を唱え始めると、小石に眩しい光が収束していく。 「これは……あかん!」 小石の発光に危険を感じた静留が『殉逢』を実体化させ、その刃先をムチ状にしてルイズに放った瞬間、爆発が起こった。 爆発に驚いた使い魔達が暴れ出し、逃げたり噛みついたりして教室は悲鳴が入り混じる阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。 「だから言ったのよ、ルイズにやらせるなって! あれ、ル、ルイズは!?」 キュルケはそう言って教壇を指差すが、そこにルイズの姿はなかった。 「そんな、うそでしょ……」 「ここやよ、キュルケさん」 キュルケは最悪の状況を想像して呆然していたが、教室の後ろの方から聞こえてきた声に反応して振り向くと、そこにルイズをお姫様抱っこした静留の姿があった。 「この通り、ルイズ様は無事どす。安心してや」 「ちょっと失敗したみたいね」 無傷のまま静留の腕に抱かれた格好でルイズが憮然としてそう言うと、教室中の生徒から非難の声が巻き起こる。 「どこがちょっとだよ! ゼロのルイズ!」 「いつだって成功の確率、ほとんどゼロじゃないか!」 (なるほど、それでゼロいうんやね) 本人の表情と周囲の反応から、静留は何故ルイズがゼロと呼ばれているのかを理解したのだった。 前ページ次ページゼロ・HiME
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>>next (やった、ついに……ついに成功したんだわ!) 使い魔を呼び出す「サモン・サーヴァント」の儀式……いつものように「ゼロのルイズ」とクラスメイトたちに囃し立てられる中、 ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは杖を振った。 お約束の爆発と白煙に、湧き上がるクラスメイトたちの嘲笑。 しかし、もうもうたる白煙が次第に薄れると、笑いはさあっと波が引くように静まっていった。 煙の中から姿を現したのは、およそ2メイルにも達する巨大な金色の幻獣であった。 「まさか、成功したのか!?」 「ゼロのルイズがあんな幻獣を……」 クラスメイトのざわめきを、ルイズはこのうえなく心地よく受け止めていた。 (私だって、私だってやれば出来るのよ。これだけの幻獣を召喚できるメイジなんて、そうはいないわ!) 「ほう、これはお見事ですな、ミス・ヴァリエール! さあ、『コントラクト・サーヴァント』を済ませるのですぞ」 コルベール師がにこにこと相好を崩した。 劣等生で手のかかるルイズが見事に「サモン・サーヴァント」を成功させたことは、人のよいコルベールには大きな喜びだった。 「はい、コルベール先生」 ルイズは、すう、と息を吸うと、召喚した幻獣に向かって歩み寄る。 目の前にうずくまる使い魔は、見るほどに見事な幻獣だった。黄金に輝く体毛、力強い四肢に鋭い爪。そして、こちらをじっと射抜く視線―― この幻獣を自分が召喚したのだ、という喜びに、ルイズの胸が震える。 「我が名は、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の使い魔となせ……」 杖を幻獣の額に置こうとした瞬間だった。 「人間か……」 幻獣が、ニヤリと口を開く。口の中には獰猛な牙がずらりと並んでいるのが見えた。 (――ししし、しゃべったー!?) ルイズの目が驚愕に開かれた。人語を解する幻獣が居ないわけではない。例えば韻竜は先住魔法や人語を操るという。 しかし、実際に幻獣がしゃべるのを見るのは初めてであり――ルイズはペタンとその場でしりもちをついた。主人の威厳台無しである。 「あああんた、しゃ、しゃべれるのね。なな名前は?」 それでもルイズは、震える声で精一杯威厳を取り繕って幻獣の名前を聞く。 「やれやれ…相変わらず人間はやかましいな。まあ、いい……わしは……長飛丸――いや、ちがうな」 幻獣は、ずい、と身を乗り出し、ルイズの顔を見据えた。 「わしは、とらだ。小娘――覚えときな!」 ルイズは必死の表情で、コクコクと頷いていた……。 「驚きましたな……人語を操るとは。いやはや、わたくしでも見たことがない珍しい幻獣ですぞ! ふむ……サラマンダーでも、ドラゴンでもない。あえて言えばキマイラかスフィンクスでしょうか……」 コルベールが興味深々といった様子で近づいてきた。研究熱心な彼の目は好奇心で輝いている。彼の頭もまた、光を浴びてさんさんと輝いていた。 (コイツ、光覇明宗のボーズか……? まあ、いいやな) 「とら」と名乗った幻獣はルイズに向き直った。 「おい小娘……るいずといったか? 教えな、わしはどうしてここにいる? 冥界の門をくぐったとばっかり思ってたがな」 「コ、ムスッ……コホン、いいわ、おお教えてあげる。アンタは、わわ私が『サモン・サーヴァント』で使い魔として召喚したの! こ、ここれから『コントラクト・サーヴァント』の魔法で契約を結ぶのよ」 びびりながらもルイズは台詞を最後まで言い切った。それにしても、「とら」とは奇妙な名前だった。 いや、人語を解する幻獣だ。どんな名前だろうと不思議ではないのかもしれない。 とらは冷静に目の前に立つ人間を見つめていた。桃色の髪の娘は、西洋風の服を着て手に小さな杖を持っている。 (法具、じゃねえな。錫杖にしちゃ小さすぎる。どうやら、大陸の「魔術」ってやつか……) 妖怪を使い魔として召喚する術者たちのことは、とらにも聞きおぼえがあった。以前戦った「お外堂」たちのようなものだろう。 (ち、さっきからわしが動けねえのは、そのせいかよ……) 使い魔か、と考えてとらは少々うんざりした。できることならさっさと空に飛び出し、思うさまに暴れてみたいところである。 とはいえ、自分は確かに白面との戦いで消滅したはずだ。 状況から考えて、一度消滅した自分をここに召喚したのは、まぎれもなく目の前の小さな娘だった。 「……まあ、暴れたらまたうしおがうっせーだろーしよ……それにオマエには借りが出来たようだな、小娘――」 「ははは、はいっ!」 「さっさと済ましちまいな、その契約とやらを」 そう言って、とらは舌を突き出しながら凶悪に笑った。ルイズは失禁をこらえながら、ギクシャクととらに近づく。 そして、震える手で杖を差し出すと、とらの額にあて、そっと背伸びをしながら、とらにキスをした。 「こ、これで終わりよ。あああと、体のどこかに使い魔のルーンが刻まれるわ」 ルイズの言葉通り、とらの左手が熱を帯び、やがて金色の体毛にルーンが浮かび上がる。……やれやれ、呪印かよ、と呟くとら。 「ほほう、珍しいルーンですな……いや、まったく面白い。とら君、あとでぜひいろいろお話を聞きたいですぞ! 幻獣から直接話を聞ける機会など、そう滅多にありませんからな!」 にこにこと笑うコルベール。しかし、その姿は、どこか不思議な力に満ちていた。ちょうど、法力を放つ直前の法力僧のように―― (そうか、こいつ、うしおのオヤジに似てやがるんだな。普段は笑っているが、こいつ、つええな) とらはニヤリと笑った。強いものが好きな性格だけは死んでも変わるまい。 「……ボーズ、わしはその幻獣てのじゃねえ。バケモンよ。大キレーな呼び方だが、大陸じゃ字伏と呼ばれた妖怪だ」 「おおお! アザフセ、ですか。まったくの新種だ、素晴らしい、とら君! ……ハッ、いかんいかん、忘れておった」 メモを取っていたコルベールは、慌てて生徒たちを見回した。 「皆さん、教室に戻りますぞ」 生徒たちは次々と、「フライ」の魔法で飛んでいった。とらは感心して飛んでいくメイジたちを見ていた。 この連中はなかなか法力――いや、魔力が高いように見える。法力僧でも空を飛ぶような者はそう居なかった。なのに、子供まで―― 「む、小娘――オメーは飛ばんのか?」 一人取り残されたルイズは、ふるふると震えていた。 「飛べないのよ……あああと、あたしの名前はルイズよ。小娘は、やや、やめて」 しゃーねえなあと、とらは頭をかく。そのまま、むんずとルイズの細い腰をひっつかんだ。 「きゃあ、ちょ、なにーっ!?」 「つかまってろ、るいず。飛ぶぞっ!」 日本で長飛丸の異名を持ち、そのおそるべき速さを恐れられた妖怪は、ルイズをつかんだまま風のように飛び上がった。 耳元で風が猛々しくうなりをあげる。 (ああ……ひょっとして、わたし、やばいの、召喚、しちゃった、か…も……) 「ひょおおおおおおおおおっ!!!」 薄れていく意識の中で、ルイズはとらの歓喜の雄叫びがトリステイン魔法学院に鳴り響くのを聞き…… 気を失った。 >>next
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俺の名前は平賀才人。ルイズの『二人目』の使い魔だ。 元々俺は地球の日本にいたのだが何の因果かハルケギニアっていう場所に呼び出されちまった。 召喚されたときはそりゃ泣いたりしたが『住めば都』っていう言葉通り結構環境が良かった。 ご主人様であるルイズは以前までは結構厳しい性格だったらしいが。 『最初に召喚した使い魔』のおかげでその性格を改善したらしい。恩に着るよ。 俺がルイズに怒ったことは、初めてルイズの部屋に入った時にドアを開けたら本の山が俺に襲いかかってきたことだ。 そのとき俺は本の中に埋まって危うく死にかけるところだった。 部屋の中も凄まじく、ところせましに本の塔が建てられていた。 俺はルイズに少しは片づけたらどうだって言ったらルイズは返事をしただけで以来ちっとも片づけようともしない。 しょうがなく使い魔として掃除しようとしたら乗馬用の鞭で叩かれちまった。痛かったぜ…。 そんなあくる日のこと、ルイズのいない部屋でのんびりしていたらふとある物が目に入った。 それは『帽子』だった。よく魔法使いが被る黒い帽子、それがベッドの横に置いてある。 俺は何故かそれが気になったので帽子を手に取ってみると帽子の下に日記が置いてあった。 タイトルが書かれてあったがこの国の言葉はまだわからなかったら何なのかさっぱりだった。 俺は気になったのでページを開いてみると…そこには懐かしい日本語が書かれていた。 俺はプライバシーに関わりそうな事を理解して、日記を読む事にした。 ○月○日 (これは私が元いた世界の日にちだが) 私を召喚したルイズって奴から日記を借りた。 こんなに珍しい事は無い、珍しい事があったら日記に書き取っておこう。 しかしルイズから聞いた話だけだがこの世界には珍しい物がたくさんありそうでワクワクするぜ。 ▽月⊿日 今日ルイズやキュルケ達と一緒に『土くれ』のフーケとか言う奴を退治しにいった。 そいつはでかいゴーレムを作って襲いかかって来たが私の『マスタースパーク』であっという間に倒してやったぜ。 その後にノコノコと出てきたフーケの正体はなんと学院長の秘書だった。あの時は驚いたぜ。 『破壊の杖』は手に入れたかったが学院長が断固として断ったため代わりに『遠見の鏡』をもらった。 ★月★日 アルビオンから久方ぶりに帰ってきた。 まさかあのワルドって野郎が敵だったとは知らなかった。まぁすぐに倒してやったけど。 後帰るついでにアルビオンの宝物庫からいろいろと拝借してきたぜ。 でもそのせいでお姫様の愛人をむざむざ見殺しにしてしまった。 あの時気づいていれば助けられたのに…本当に情けないぜ。 ☆月☆日 やっと元の世界に帰れる方法を見つけた。 ルイズはそれを聞いて帰らせまいと私にしがみついたが仕方なく自作の眠り粉をかがせた。 この日記は置いておこう、短い間だったがルイズは私のことを本当の親子か何かのように慕ってくれた。 だから私がここにいたことをここに残しておくぜ。後、名残惜しいが良く喋る剣も残しておこう。 本当ならすぐにでも帰りたいがなんかこの国にレコン・キスタとかいう連中が近づいているらしい。 どうせ最後だ、この霧雨魔理沙がハルケギニアにいたことを記録に刻んでやるぜ。 追伸、恐らく次に召喚される奴。人間で日本語が分かる奴に伝えておく。 私の代わりにルイズの世話を見てくれ。 『タルブ会戦』の折、箒に跨りたった一人でレコンキスタの旗艦『レキンシントン』号を沈めたうえに竜騎兵を全滅させたメイジがいた。 その者の名は……キリサメマリサ。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールの使い魔、霧雨魔理沙。
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コルベールが中庭で戦っている頃、食堂でも戦いが繰り広げられていた。 不覚にも銃士達は、斬りつけても怯まない、突き刺しても死なない、得体の知れぬメイジを相手にして、混乱の一歩手前だった。 ゾンビを相手したことなど、あるはずが無いのだ、仕方がないのかもしれない。 既に二人の銃士が、ゾンビメイジの捨て身の攻撃で銃士がやられ、床に倒れている。 腹や手足に受けた傷からは、血が流れ続けている…このままでは死んでしまう。 「おああああッ!」 アニエスは、渾身の力を込めて、ゾンビメイジの腕を切り払った。 が、相手も手練らしく、『ブレイド』の魔法を纏った杖でいなされてしまう。 手強い…!アニエスがそう思った瞬間、頭上から六人がけのテーブルが落下してきた。オスマンが投げ落としたのだ。 メイジは咄嗟にそれを避けたが、床が濡れていたために足を滑らせ、一瞬の隙が出来た。 「うおおおあああっ!!」 アニエスは渾身の力を込めて切り払い、メイジの杖をはじき飛ばした、そのまま腰溜めに剣を構え、心臓目がけて突き立てる。 「くっ!」 ドコッ!と鈍い音を立てて、メイジの体を剣が貫く。剣は胸板を貫き骨ごと心臓を貫いた、しかし、剣が抜けない。 そこにもう一人のメイジが、アニエスに向けてマジックアローを放った。 アニエスは剣を捨て、後ろに転がってマジックアローをかわしていく、一発目、二発目、三発目……このままでは回避しきれない。 タバサにもそれを防ぐ手段は無かった、もう一人のメイジは、タバサの魔法で全身を貫かれ、首を半分まで切り裂いたというのに、傷口が瞬く間に塞がってしまう。 この場にキュルケが居てくれれば…! タバサはそう考えて、すぐにそれを否定した。 今まで、ずっと困難な任務を受け続けてたタバサは、他人に頼ることを良しとしない。 巻き添えを作らないために、迷惑をかけないために、タバサは一人で戦い続けてきた。 けが人であるキュルケの復帰を期待するなど、あってはならないことだ…そう思い直して奥歯を強く噛みしめた。 「ラグー・ウォータル…!」 タバサは、氷の壁でメイジの動きを封じるべく、詠唱を開始する。 しかし途中で、空気が異常に乾いていることに気が付く。 原因は、氷の矢の使いすぎだった、空気中の水蒸気を使いすぎてしまったのだ、床に零れた水や氷では、すぐに魔法に利用することはできない。 このままでは相手の動きを封じるどころか、必殺の『ウインディ・アイシクル』も使えない。 六回目! アニエスがテーブルを盾にして、六発目の『マジック・アロー』をやり過ごした頃、胸から剣を生やしたメイジが、落ちた杖を手にしていた。 メイジがアニエスに杖を向け、詠唱を開始する…アニエスは鳥肌を立てた、回避しきれない。 「あ」 奇妙な光景だ…アニエスは頭のどこかでそう考えていた。 メイジの放ったマジック・アローが、ヤケに緩慢な動きで自分へと飛んでくるのだ。 マジック・アローだけでなく、自分の体さえもゆっくりと動いている。 避け、られない。 ジュバッ!と音を立てて、マジック・アローが炎に包まれる。 炎の弾が、アニエスに届くはずだったマジック・アローを消滅させたのだ。 矢次に飛ばされる火の玉は、杖を構えていたメイジの腕に当たり腕を焼き尽くす、すると腕がぼろりと崩れ落ち、剣状の杖が床に落ちた。 「グア…」 見ると、キュルケが杖を構えて、食堂の入り口に立っていた。 キュルケはタバサと相対していたメイジにも炎の弾を飛ばし、タバサを後ろに下がらせる。 「遅れてご免なさい」 そう言って、キュルケがタバサの肩に手を乗せる。 「怪我は」とタバサが聞くと、キュルケはウインクをして答えた。 「私は平気よ、シエスタとモンモランシーが怪我人を治して、すぐにこっちに来るわ。…さっきは情けないところを見せたけど、この”微熱”だって負けていられないのよ」 キュルケはタバサの前に出ると、メイジに向けて杖を向ける。 燃えさかる炎の中で、そのメイジは、にやりと笑みを見せた。 「来なさい、化け物」 ◆◆◆◆◆◆ 「んんぅーっ!」 連れ去られた生徒が、傭兵メイジの腕の中でもがく、口には即席の猿ぐつわを噛まされていて声が出せない。 「くそガキ!じたばたするな!この高さから落ちたい訳じゃあないだろう」 生徒は、自分を抱えているメイジにそう忠告され、下を見た。 メンヌヴィルに先に脱出しろと指示された二人のメイジは、『フライ』を詠唱して空を飛んでいる、下は草原だが30メイル以上の高さがあった。 生徒は息をのみ、黙った。 「ジョヴァンニ、船はまだ見えないのか」 生徒を抱えていたメイジ…ギースがそう呟くと、ジョヴァンニと呼ばれた男は、林の奥を指さした。 「見えたぞギース、あれだ」 林の奥には、黒塗りのフリゲート艦が碇を降ろし、超低空で停泊していた。 ハルケギニアでは、フリゲートという呼称は小型高速の軍艦に用いられるのだが、この船は余計な装備を廃した特別製のもので、軍艦としては格別に小さい。 『ライン』以上のメイジであれば十分に浮かせることが出来る…という訳で、もっぱら特殊条件下での人員高速輸送に使われていた。 本塔を占拠した時、傭兵メイジが出した合図は、フリゲート艦を魔法学院に近い林の中へ下ろす合図だった。 十人ほど人質を取り、船で逃げる手はずだったが、手痛い反撃に遭い生徒を一人抱えるのがやっとだった。 しかし、今回の仕事は『誘拐』ではないので、人質をいつまでも連れて逃げるわけではない、彼らの目的は別にあったのだ。 二人は船に乗り込むと、中で待機しているはずのメイジを探した。 この船で帰還することはできない、せいぜい目立つところを飛んで貰って、トリステインの哨戒の目を引きつけて貰うしかない…。 「おい!船を出せ!仕事は果たしたぞ!注文通り『トリステインの逆鱗に触れてやった』ぞ!」 ジョヴァンニが叫びながら、船室の扉を開けていく、だがメイジの姿は見えない。 貨物室に入って中を見渡す…しかし、誰も居ない。 「おい!何処へ行った!…くそ、なんてこった、あの気味の悪いヤロウ、逃げやがったか」 そう悪態を付くと、ギースが人質を抱えて中に入ってくる。 抱えていた人質を貨物室へ放り込むと、その足に杖を向け短くルーンを唱える、鉄の足かせを『練金』したのだ。 「よし…恨むなよ嬢ちゃん」 「んむーーっ!」 生徒は、身をよじらせて何とか動こうとするが、足かせが重くて自由に動けない、その上腕までも封じられていては、為す術が無かった。 「おい、どうするんだ」 事を見守っていたもうジョヴァンニが、焦りを隠さずに聞く。 「予備に風石があったはずだ、そいつで船を浮かせる。どうせ二時間しか浮けないだろうが十分だ、風任せで動けば囮にはなる」 「このガキはどうする」 「風石が尽きれば、船ごと落ちて死ぬだろうが、万が一救出されたら厄介だ…そうだ、船室を燃やしておけばいい、二時間ばかりこの船が囮にないいんだからな」 「よし、それでいこう」ジョヴァンニが頷いた。 ギースは、貨物室から外に出ると、後部甲板下の船室に入った。 ランプを二つ手に取ると、床に投げ捨てる。 二つのランプはガラス片と油を飛び散らせて散らばった。 杖を振り、油に『着火』すると、燃焼時間を調節するため扉を閉じる。 すぐさま甲板に戻り、ジョヴァンニの姿を探す…甲板には居ない。 碇を上げる余裕はない。碇の根本にあるフックを魔法で外すと、ジャラジャラジャラと鎖が落ちる音が聞こえ、がくんと船が揺れた。 船は静かに上昇を始める…… 「ジョヴァンニ!行くぞ!」 船が浮き始めれば、あとは逃げるだけだ。ギースは姿の見えぬ よく見ると、人質を閉じこめた船室が開いていた。 「あいつめ…また悪い癖か」 ジョヴァンニという男は、メンヌヴィル率いる傭兵団の中でも古株だが、悪い癖を持っている。 メンヌヴィルが人間の…いや、生き物の焼ける臭いが好きでたまらないように、ジョヴァンニは女を陵辱したくてたまらぬといった口だ。 一刻も早く逃げなければならないのに、こんな時まで悪い癖が出たのか…そう考えてギースは声を荒げた。 「おい!ジョヴァンニ、早くしろ」 船室の中では、ジョヴァンニが人質の上着を引きちぎっていた。生徒は胸を露出させ、恐怖のあまり震えている。 「まあ待てよ、男を知らないうちに死ぬなんて可哀想じゃないか」 そう言って下卑た笑みを見せる、が、そんなことをしている余裕は無い。 「時間はない。先に行くぞ」 「…ちっ。まあいいさ。餞別に膜だけは破ってやるよ」 ジョヴァンニは、太さ2サント長さ30サントほどの、鉄で出来た杖を持っている。 それを生徒の眼前にちらつかせ、パジャマのズボンに手を伸ばした。 「んむっ!んむううー!」 自由を奪われた体でありながら、必死で逃げようとする生徒。 それを見てジョヴァンニは舌なめずりをした。 「反吐が出るわ」 と、突然、どこからか女の声が聞こえた。 ジョヴァンニは咄嗟に、誰だ!と叫んだが、その声は床がぶち破れる音でかき消された。 床を破ったのは、銀色に輝く二本の剣であった、それは一瞬で円を描き、床に穴を開けた。 と次の瞬間には糸のようにバラけ、ジョヴァンニの足を掴む。 「うわ、うわああ!」ギースが叫んだ。 奈落の底、と表現すべきだろうか。直径わずか20サントの穴に、ジョヴァンニの体が引きずり込まれていく。 ベキベキベキと不快な音を立てて…それは床板の音か骨の音か、どう考えても後者しか思いつかなかった。 ほんの数秒で、ジョヴァンニの体は消えてしまった。 当たりに飛び散る血飛沫を残して。 「………」 人質となっていた生徒は、その異常な光景に驚く暇もなかった、何が起こったのかを理解することが出来ず気絶したのだ。 「う、うわ、わあああああああああああああああああッ!?」 今度は、ジョヴァンニが叫ぶ番だった、そして、なりふり構わずに逃げた。 一歩、二歩、三…! 三歩目を踏み出したとき、左足の動きが止まった…いや、留められた。 振り向くと、銀色の糸が何本もブーツに絡みつき、まるで大蛇のような力で足を締め付けていた。 「うわっ!ああ、ああわああああ!」 慌てながらも、何とか『ブレイド』を詠唱し杖を刃にした。糸を切断しようと足掻くが、糸は鋼のように硬い上、切っても切っても再生し、足へと絡みつく。 そうこうしているうちに糸は太く絡まり、荒縄のように…そして蛇のように足を登ろうとした。 「ちくしょおおおおっ!」 ギースは雄叫びを上げて、自分の足を切断した。 千分の一秒だけ躊躇したが、それ以上はジョヴァンニと同じ最期を辿ることになる、決断は早かった。 すぐさま、『フライ』を詠唱しようと、したが、糸はもう片方の足へと絡みついていた、中を浮いた体が、ぐいぐいと船室へと引きずり込まれようとしている。 「嫌だ!嫌だ!助けて!助けて!」 「往生際が悪いわよ」 船室の中に引きずり込まれると…そこには、暗くて良くわからないが、女の形をした『何か』が居た。 その『何か』は、背中に長剣を背負い、腕から銀色の糸を生やしていた。 着ている服は血に塗れ、所々を切り裂かれたローブは、もはや服としての機能を成していない。 「ひっ…」 「聞きたいことがあるわ…貴方の依頼主についてね」 「ひっ、ひっ、ひ…」 ギースの頭が急速に冷めていく。 目の前の『何か』は、化け物のような力を持っていても、見た目は『女』だった。 こいつは女だ!どんな化け物であっても、女に違いない!そう自分に言い聞かせて、気を落ち着かせる。 「な、なななななんでもしゃしゃしゃ喋る、だかかかから助けてててててくへ!」 「そう、じゃあ場所を移しましょう?ここじゃあ目立つわ…」 ギースは、必死で声を震わせた、恐怖で震わせるのではなく、詠唱を誤魔化すために声を震わせた。 「(ウル)わわわか(カーノ)った!(ジエー…)ひ、は、おれは(……)」 ぴくりと女の眉が上がる、詠唱に気づかれた?だが俺の方が早い! 「うおおおおおっ!」 杖の先端から、ありったけの精神力を込めた炎が迸る。 炎は、自分の足をも焦がしてしまうだろうが、そんなことはどうでもいい。 とにかく今は逃げるために、生き延びるために、こいつを焼き殺さなければならない。 「うおああああああ!」 叫んだ、そして、力を振り絞った。 だが、その悪あがきは、女が背負っていた長剣によって切り裂かれた。 ごぉうという風の巻き上がる音を立てて、炎が消える。 女は長剣を…片刃の長剣を、ギースの顔に突きつけていた。 「…ひどい炎ね、人質も一緒に焼く気?」 その言葉と共に、剣が首へと差し込まれ…ギースの首は胴体と永遠の別れを告げた。 女は…、いや、ルイズはデルフリンガーを手にしたまま、人質となっていた生徒を抱きかかえる。 そして甲板の縁に立ち、高さを知るために下を見下ろした。 「まずいわね、私、レビテーションも使えないのに…」 すでに高度は百メイルに近い、自分が飛び降りる分には問題ないが、生徒を無事に下ろすことはできない。 ルイズは、後ろめたさからデルフリンガーに話しかけるのを躊躇ったが、生徒の命を助けるためには仕方ないと自分に言い聞かせ、静かに話しかけた。 「…デルフ。私の杖は確か『風のタクト』って言うんでしょう?これを使えば平民でも空を飛べるって言ったわよね、使い方を知らない?」 デルフリンガーは拍子抜けするほどいつもの調子で、かちゃかちゃと鍔を鳴らして答える。 『あー、どうっだったかなー。えーと…そうそう、イミテーションの宝石を回すんだ』 「イミテーション?……ああ、これ」 ルイズはデルフリンガーを口にくわえ、杖のグリップに埋め込まれている宝石を回した。 すると体が軽くなり、ふわり…と浮き始める。 ルイズは宝石を元に戻すと、甲板から地面に向かって飛び降りた。 空中で一度、二度と杖の中に仕込まれている『風石』を発動させ、落下速度を殺していく。 数秒後、どすん、と音を立てて地面に着地した。 衝撃はそれほど強くない…人質となっていた生徒も大丈夫だろう。 ルイズは生徒を適当なところに寝かせ、足かせを引きちぎった。 ちらりと脇を見ると……フリゲート艦で待機していたゾンビメイジの『残骸』が目に入る。 アンドバリの指輪の力でも再生できぬよう、三十六分割されたそれは、文字通りの残骸であった。 目が覚めたときこれを見つけたら、また気絶してしまうだろう…そう考えて、ルイズはクスッと笑みを漏らした。 「!…近づいてくるわね」 遠くから聞こえてきた音に、ルイズは敏感に反応する。 耳を地面に当てると、馬の蹄の音と、人の足音が聞こえてくる…間もなくこの生徒も発見されるだろう。 ルイズはデルフリンガーを鞘に収めると、木々の間をすり抜けて、その場から離れていった。 ◆◆◆◆◆◆ 「厄介ね!」 キュルケはそう叫びながら、宙に浮いた炎の弾を操り、ゾンビメイジの『マジック・アロー』を相殺していく。 シエスタから『波紋』を注ぎ込まれたキュルケは、一時的に精神が研ぎ澄まされているが、それでもコルベールの技を真似することは出来なかった。 コルベールが巨大な蛇状の炎を操るのに比べ、キュルケは直径50サント程の火球を一個操るのがやっと。 アニエスと戦っていたメイジが、炎で焼かれた腕を再生できないことから、ゾンビの弱点が炎であることは理解できた。 水系統の力で動いている以上、水分が必要だと証明されたのだが、それはかえってアンドバリの指輪が持つ人知を超えた力を見せつけているようでもあった。 「ほんとに!厄介、ねっ!」 キュルケの相手は、風系統の高位のメイジらしい、風の障壁を貼りつつ『マジック・アロー』を飛ばしてくるのだ。 キュルケの炎では障壁を越えにくい、超えたとしても、多少の炎ではゾンビを行動不能にできない。 タバサは、オールド・オスマンを連れて待避している。 オスマンの波紋は、リサリサの直系であるシエスタに比べて、はるかに弱い。 メイジの足止めをしたのが一回、ロフトの教師用テーブルを投げ落とす際に肉体を強化したのが二回……それだけでオスマンの呼吸は乱れ始めていた。 そのため、タバサに頼んでオスマンと怪我人を下がらせたのだが…アニエスとキュルケだけでゾンビを相手するのは辛い。 キュルケが攻めあぐねている時、アニエスは激しい鍔迫り合いを繰り広げていた。 ゾンビは杖を燃やされたので、胸に突き刺さっている剣を引き抜いて使っている。 …アニエスの旗色が悪い。 「く!……なんて馬鹿力だっ」 吸血鬼ほどデタラメではないが、ゾンビは人間が備えているリミッターの外れた状態で戦っている。如何に歴戦のアニエスでも限界がある。 「アニエスさん!」 と、背後から誰かが叫んだ。 アニエスはその声が誰なのか解らなかった、ゾンビの剣に絡まったツタを見て…そしてツタに流れる『ライトニング・クラウド』のような閃光を見て、それが『魔法とは違う何か』だと直感的に理解した。 「山 吹 色 の 波 紋 疾 走 !」 シエスタが放った波紋は、剣を握る手に麻痺を起こさせた、その隙にアニエスがゾンビの体を蹴って距離を取る。 ゾンビは、剣を落とし…ふらり、ふらりとした足で少しずつ後ろに下がっていった。 「アニエスさん、大丈夫ですか!」 「礼は言う!だが非戦闘員は下がっていろ!」 「そういうわけには行きません!」 シエスタは半身に構えて両腕を前に出し、腕に絡めたツタを垂らす。 アニエスは何か言おうとしたが…そんな余裕がないと気付き、無言で剣を構えなおした。 だが、ゾンビは襲いかかってくる気配もない。 それどころか、自分の手を見て、周囲を見渡して……まるで迷子の子供のような顔をしてあたりを見回している。 「…様子が変だ」 アニエスが呟いた、その時。 「う、うおおおおおおっ!」 ゾンビが、キュルケが相手しているゾンビに向かって体当たりをした。 ごろん、と床に倒れ込むと、もがくゾンビを取り押さえて、叫ぶ。 「燃やせーっ!早く!俺ごと、やれーっ!」 キュルケはその言葉に、一瞬だけ躊躇いを見せた。 だが、それは本塔に一瞬のこと…杖を二人のゾンビに向かって振り下ろす。 ごうごうと音を立てて二人のゾンビが燃えていく、あたりに焦げ臭い、人間の焼ける嫌な臭いが立ちこめていく……しかし、誰もその場から離れようとしなかった。 皆、じっと燃えていく様子を見つめていた。 しばらくすると、炎が消えて、黒こげになったゾンビ二体が床に残る。 「…………」 もう、どちらがどっちなのか判別できないが、片方のゾンビが声にならぬ声を呟いていた。 皆、自然と耳を澄まし、その言葉を聞いた。 「と りす て いん の とも よ しょう き に も どし て くれた あ り が と……」 その言葉を聞いて…キュルケとは、床に膝をついた。 アニエスは祈るように両手を重ね、握りしめる。 シエスタは、水の精霊に会い、リサリサの記憶の一部を受け継いだことを思い出していた。 曖昧な記憶なので、はっきりと思い出すことは出来なかったが、正気を取り戻したゾンビを見て、ある一つの記憶が鮮明になった。 曰く『波紋は精霊に干渉できる』 ◆◆◆◆◆◆ 人質となっていた少女が衛兵に発見され、魔法学院に運ばれたのを確認してから、ルイズはトリスタニアへと足を向けた。 兵士達の会話の中から、魔法学院に潜んでいた賊が殲滅されたことを知ったので、もはや自分の用は無いと判断したのだ。 ルイズは、いつものように街道を避け、街道沿いの林の中を歩いていた。 「ねえ、デルフ」 『ん?』 デルフがいつものように背中から返事をする。その声はいつもと変わらなくて…変わらなすぎて、かえってルイズを不安にさせた。 「あなた、心を読めるんでしょう」 『前にも言ったけど、多少ならなあ』 「私の心、読んだ?」 『………あー、もしかして、見ず知らずの親子を殺したのを気にしてるのか?』 ルイズが、足を止めた。 背中の鞘からデルフリンガーを引き抜き、銀色に輝く刀身を見つめる。 「…軽蔑した?」 『いんや、別に』 驚くほど軽く、デルフリンガーが呟く。 それでは納得できないのか、ルイズはその場に座り込んで、足下にデルフリンガーを突き刺した。 「どうしてよ、だって、貴方は、武器屋で見つけたとき、私をずいぶん嫌ってたじゃない」 『いや、そうだけどさあ……』 デルフリンガーは言いにくそうに、鍔をカチャカチャと数度鳴らして…ぽつぽつと語り出した。 『俺っちは剣だ。悪いものばかりじゃなくて、いろんな奴に使われて人間も沢山切ってきた。おれは誰に使われるかを選べねー。 でもよう、嬢ちゃんはずっと後悔しっぱなしじゃねーか。俺っちは元から剣として生まれたから、自分じゃ戦うのは嫌だなーと思ってるけど、人を切るのに抵抗もないんだわ。 嬢ちゃんはずっと我慢してるじゃねーか。できるだけ相手を選んで殺してるし、希に我慢できなくなるのも仕方ねーと思うよ。 それに俺、嬢ちゃんはもっと食欲に流されると思ってたんだぜ。でも人間を襲わないようにすげー努力してるのは解る。 親子のことは可愛そうだと思うけどよ、貴族の横暴で似たような死に方してるヤツなんて、数え切れないほど見てきたぜ。 俺はよ、後悔し続けるそんな嬢ちゃんを嫌いになれねえ』 ほんの数分、沈黙が流れた。 ルイズは、そっとデルフリンガーを引き抜くと、その刀身を優しく抱きしめる。 「あんたが、人間だったら良かったのに」 『よせやい』 空を見上げる……月は雲に隠れているが、所々から綺麗な光線が漏れていた。 「この戦争を、終わらせましょう」 誰に言うでもなく…いや、自分に言い聞かせるように呟く。 月を見上げたルイズは、憑き物が落ちたように、穏やかな微笑みを浮かべていた。 To Be Continued→ 70後半< 目次 >72
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前ページ次ページゼロの魔王伝 ゼロの魔王伝――8 夢の世界に沈んだルイズは、これが夢の中だと分かる不思議を感じながら、懐かしくさえ思える夢を見ていた。それは春の使い魔召喚の折の事。唱えても唱えても爆発ばかりが起き、一向に使い魔を召喚できずにいたルイズに周囲の生徒から罵倒が飛ぶ。 “ああ、これは、Dを召喚した日の事ね” この日の事は今も鮮明に思い出せる。その時の情景も、周囲から向けられる感情の種類も、虚しく空を切る杖の感触も、なにも呼ぶ事無く虚ろに響く呪文も……もっとも、Dの美貌ばかりは夢の中でも思い出せないけれど。 魔法学院の外に広がる薄緑が連なる草原の真ん中で、同級生達に軽蔑の視線でもって見守られながら、ルイズは何度も杖を振り、呪文を唱え続ける。だがそれは実を結ぶ事無く草原に土煙を幾筋もたなびかせていた。 引率として同伴していた頭頂の毛が薄い、温和そうな中年男性のミスタ・コルベールが、最後の機会と夢の中のルイズに告げる。ルイズは上空からその様子を俯瞰する高さで見つめていた。これが最後と覚悟を決め、詠唱を始める夢の中のルイズ。 それまでと変わらぬ爆発が起きた時、夢の中のルイズは目の前が真っ暗になったようだった。いや、実際そうだった。必死に歯を食い縛って流すまいと堪えていた涙の粒が眼尻に大きく盛り上がり、ついには理性の堤防を破って滴り落ちそうになる。 その涙を許さない貴族としての矜持、もうどうでもいいと投げやりになる素の感情。せめぎ合うそれらがルイズの心を掻き乱していた。 周囲の生徒達の野次が一層ひどく、そしてコルベールの姿にも傍から見てもあからさまに失望の色が伺えた。無理もない、また自分は落ちこぼれのルイズである事を証明したのだから。 一人進級する事も出来ず、また同じ一年を過ごし、周囲からの嘲りと憐れみとを満身に浴びて、いずれは耐えきれずに屈辱に胸を掻き毟り自ら命を断つか、あるいは心に癒えぬ傷を抱えたままラ・ヴァリエールの領地に戻っていただろう。 “でも、違った” 慈悲深き始祖ブリミルはルイズを見放しはしなかった。やがて土煙に薄く人影が映し出された時、すべての音は絶え、唯一その場に居た人間のみならず使い魔たちの息を呑む音だけが響いた。 そう、風さえも音を絶やしていた。風は怯え、土は慄き、火は熱を失い、水は流れる事を止めた。 ルイズが召んだ者――いやモノとはそれほどまでに美しく、それほどまでに恐ろしいものだと、人間よりも世界が悟ったのだ。 見よ、立ち込める土煙は決して触れてはならぬ者の出現を悟り自ら左右に分かれ、踏みしめられる大地は喜びと共に甘受し、頬に触れた風は恍惚と蕩け、泥の如く蟠って大地に堕ちた。 ルイズの瞳にそれが映し出された。コルベールの脳がそれを認めた。周囲の生徒達が考える事を止めた。使い魔達は来てはならぬ者が来た事を悟った。 かつて、森の彼方の国から、一人の美女を追って全てを白く染めるほどに濃い霧と共に、死者のみを乗せた船の主となって倫敦を訪れたバンパイアの様に、ソレは姿を見せた。 太陽の光がそのまま闇の暗黒に変じてしまうかの如き黒の服装。胸元で時折揺れる深海の青を凝縮したようなペンダント。それらが彩る、広く伸びた鍔の旅人帽の下にある美貌よ。美しさとは、これほどまでに極まるものなのか。 それは、美しいという事さえ認識できぬ美しさであった。目の前のそれを表す言葉を探り、しかし美しいと言う他ないと認め、それよりも相応しい言葉を見つけられないと絶望するのに刹那の時を必要とした。 若い、まだ二十歳になる前の青年であった。銀の滑車がついたブーツは音一つ立てずに歩み、かろうじて息を吹き返した風の妖精たちによって靡く波打った黒髪も、漆黒のコートもその全てに美しいという形容の言葉を幾度も着けねばならぬ。 右肩に柄尻を向けて斜めに背負った一振りの長剣は180サントを悠々と越える青年の身の丈にも届くほどに長く、尋常な腕では満足に鞘から抜き放つ事も出来ないだろう。 一歩、二歩と歩む青年の姿はルイズの魂を根幹から揺さぶるほどに美しく、この瞬間、ルイズはこれまで影のように傍らに在り続けた“ゼロ”というコンプレックスを忘れた。 一人の少女の輝かしい生涯を、その終りまで暗黒に変えるだろう劣等心を忘却させた青年は、しかし、三歩目を刻む事はなかった。土煙とは異なる白煙を全身から立ち上らせた青年は、ゆっくりと、その様さえも美しくうつ伏せに倒れたのだ。 ど、と重い音が響く。ルイズが目の前の光景を理解するのに数秒を要した。 『目の前に倒れているのは、誰? 私が召喚した、使い魔? いや、こんな美しい御方が? いえ、それよりも、倒れている? どうして? 違う、そんな事よりも!!』 意味のある言葉にならぬルイズの思考を突き動かしたのは、自分が呼び出したかもしれない使い魔を保護しようという意識ではなかった。 それは奉仕の心であった。この方の為に何かしなければならない。何か自分に出来る事があるのなら、それに全力を尽くさねばならない。期待の結婚詐欺師にかどわかされ、夫を殺した婦人方の万倍も強く、ルイズは眼前の青年の奉仕者となっていた。 トリステイン王国でも五指に数えられる名家中の名家ラ・ヴァリエール家の令嬢として、多くの召使たちに傅かれ日常の雑事の全てを他者に委ね、頭を下げられる事を当たり前の事として育った少女が、この時世界の誰よりも強い奉仕の心を持っていた。 誰よりも早く倒れ伏した青年――Dに駆け寄り、膝をついて白煙をたなびかせる剣士へと手を伸ばして声をかけた。 「大丈夫ですか、ミスタ! どこかにお怪我でも? 熱っ!?」 その背に恐る恐る伸ばした右手が、途方もない熱を感じ、思わずルイズは手をひっこめた。この場に居る誰もが知り得る筈もないが、Dはほんの数秒前まで燃えたぎるマグマに飲み込まれんとしていたのだ。 その余熱がこの青年の体を焼き、今も体内に残留していたのである。Dの意識が絶えている事を、自分の呼び掛けに無反応である事から確認し、ルイズは大きく声を張り上げた。これほど乱暴に声を荒げたのは初めての事だったろう。 「誰か、水魔法使える子は早く来て! 治癒をかけるのよ、怪我をされているわ! のろくさとしないで、さっさとしなさい!!」 雷に打たれたように、ルイズの怒声を耳にした生徒達の中の、全水系統の者達が全力疾走でDの元へと駆け寄った。彼らもまた美の奉仕者へと変わったのだ。 押しあいへしあい、我先にこの美しい方の傷を癒さんと杖を伸ばす生徒達のど真ん中で、ルイズは憎悪の視線さえ向けられながらぐいぐいと遠慮なく体を押されていたが、それに負ける事無く、ひたむきな視線を倒れ伏したDへと向けていた。 敬虔な信徒、忠義に熱い騎士、一途な恋に身を焦がす少女、その全てに似て非なる視線であった。だが、Dの身を案ずるという一点においてその全てと共通していた。 ルイズにとって二番目の姉の体を案ずるのと同じくらいに、今、Dの怪我の治癒に対して心を砕いていたのだ。 流石に教師としての面目を思い出したのか、コルベールが最も早く正気に戻り、Dの傷が癒えた頃を見計らって、生徒達に戻るよう声をかける。途端にこれまでの人生で浴びせられた事の無い程の、怒涛の殺気がコルベールの全身を呑みこんだ。 途方もなく巨大な蛇に飲み込まれてしまったように、コルベールは恐怖に身を竦ませた。美への奉仕を邪魔する者に制裁を、この一念で水系統の魔法学院生徒達はコルベールを睨みつけたのだ。 とても実戦経験の無い生徒達が放つとは思えぬ殺気を浴びてコルベールの毛根は死んでゆく。はらはらと抜け落ちる自身の毛髪には気付かず、なんとか心胆に力を込めて生徒達に声をかけ直す。 「こ、これで使い魔召喚の儀は終わりですぞ! 急いで学院に戻りなさい!」 ゆらゆらと立ち上がる生徒達は、まるで冥界から生ある者を恨みながら黄泉返った死者の様に恐ろしくコルベールの眼に映る。チビりかけるが、かろうじてこらえる。教師としての威厳や年長者としての自尊心を動員し、なんとか成功した。 傍らを過ぎる度に水系統生徒達に血走った眼を向けられて、コルベールは保健室で胃薬を貰おうと決心した。その他の系統の生徒達も、頬を薔薇色に染めながら、失神したクラスメート達を抱えて、学院へと戻り始めた。 美の衝撃は抜けず、人間に空を飛ぶ事を約束するフライの魔法を唱える事の出来た者は一人もおらず、全員が自分の足で使い魔を連れて戻っていった。他の生徒達がいなくなった草原に、倒れたままのDと共に残っていたルイズに、コルベールが声をかけた。 「さ、ミス・ヴァリエール、保健室にその方を運びますぞ。契約はそちらが目を覚まされてから事情を説明した上で、でよろしいですかな? 古今人間を使い魔にした例はありませんが、神聖な使い魔召喚の儀式においてやり直しは認められませんからな」 「あの、でも、ミスタ・コルベール」 雨に打たれる子犬の様に弱々しく、ルイズはそのまま泣き出しそうな顔で、上目使いにコルベールを見た。赤く染まった頬に潤んだ瞳は、誰もがこの小さな少女を守ってあげなければならないと思わせるほど儚く、可憐だった。 「なんですかな?」 「わたしなんかが、この人を使い魔にするなんて事があって良いのでしょうか?」 「うむ、それは、まあその青年が目を覚まされてからの話と言う事で」 と、コルベールは逃げた。彼自身、このような使い魔が召喚されるなど想像だにしていなかったのだ。メイジに相応しいと思える使い魔が召喚される場面は何度も見てきたが、使い魔に相応しいかどうかと、メイジの方を疑ったのは初めての経験だった。 その後、コルベールが対象物を浮かび上がらせるレビテーションの魔法を掛けてDを保健室まで運んだ。 旅人帽と長剣、ロングコートを脱がし、腰に巻かれた戦闘用ベルトを括りつけられたパウチごと外して清潔なベッドに寝かせたDを、傍らでぽけっとルイズは見つめていた。完全無欠に心ここに在らずである。 気を絶やして眠りの世界に陥った青年の横顔を、宝物を眺めて一日を過ごす子供の様にして見ているのだ。 この時、ルイズは生涯でもっとも幸福であった。この時を一分一秒でも長く過ごす為にか、ルイズの体は身体機能を調節する術を覚え、保健室に運びこんでからの数時間、手洗いに一度とて行く事もなく、また睡魔に襲われる事もなかった。 自分の膝に肘を着けて、細い顎にほっそりとした指を添えて、うっとりと、うっとりと見つめていた。このまま食を断ち、眠りを忘れて命を失い、骸骨に変わろうとも何の後悔もなくルイズは見続けるだろう。 ルイズとD。ただ二人だけの世界は、この上なく美しく輝いていた。ちなみに保険医の水メイジの先生は、Dの美貌を目の当たりにして瞬時に気を失い、Dの隣のベッドで笑みを浮かべながら眠っている。 固く瞼を閉ざし、浅い呼吸は時に目の前の青年が既に息をしていないのではないかとルイズの胸に不安の種を植え付け、それが芽吹くたびにルイズは、震える指を青年の花の前にかざし、本当にかすかな吐息を確認する。 Dの吐息を浴びた指が、そのまま宝石に変わってしまいそうでルイズは頬をだらしなく緩めた。 一見すれば気が触れたとしか思えないうっとり具合であったが、その原因が桁はずれの説得力を有する外見の為、今のルイズをからかう資格のある者はこのトリステイン魔法学院には誰一人としていなかった。 はあ、とルイズは切ない溜息をついた。もう切なすぎてそのまま死んでしまうんじゃないかしら、私? と本人が思うほど切ないのである。憂いも愁い患いもルイズの心の杯をいっぱいに満たし、溢れんとしている。 それは、ルイズがこれから行うかもしれない使い魔との契約の儀が理由だった。召喚した使い魔との契約――それは粘膜の接触、すなわち口と口での接吻であった。 通常動物や幻獣の類が召喚される為、この接吻は誰とてキスの一つには数えぬものだが、ルイズの場合は相手が相手であった。 『ここここここの、くく、唇に、キキキキキィイイイイイッススススススゥをしなけれなならないのかしら? わわわわたしししし!? ふぁ、ファーストキッスにかかか、カウントすべきよね! ね!!』 とまあ、こんな具合に愁いを帯びた深窓の令嬢の雰囲気とは裏腹に、ルイズの内心はいい感じに茹だっていた。タコを放り込めばコンマ一秒で真っ赤っかになるだろう。実にホット。地獄で罪人を煮込む釜並みにぼこぼこと沸騰しているに違いない。 はあ、とそのまま雪の結晶になって落ちて砕けてしまいそうな溜息が、ルイズの唇から零れる。これまでルイズに目向きもしなかった同級生達も、はっと息を飲みそうなほどに麗しい。 可憐、と言う言葉を物質にできたならまさに今のルイズほど似合う少女は居なかったろう。 つい見惚れて、ふらふら~っと誘蛾灯に誘われる蛾よろしく――蛾、というのはいささかルイズに失礼かもしれないが――、ルイズは思わず目を細めて唇を突き出し、Dの唇へと引き寄せられる。 二人の唇の間に引力が存在するかのように、夢見る顔でルイズの頭が眠りの世界の魔王子となっているDの頭に重なる。 『横にズレなし、後は縦に落ちるだけよ、ルイズ!』 さあ、さあ、ぶちゅっと一発! とルイズは平民の様な伝法な声で自分を励ます自分の声を聞いていた。心の中の鼓膜が盛大に揺れる。それを、絞り粕の様に残っていたルイズの理性が留めた。 いくらなんでも眠っている殿方の唇を奪うなど、婦人に夜這いを掛ける殿方よりも、よほど卑しくはしたないではないか、と誇り高いトリステイン貴族でもとりわけ格式も誇りも高いヴァリエール家に生まれたルイズの気高さが、反攻の狼煙を上げたのだ。 『でもこの唇に、キ、キスできるのよ?』 はう、と声を上げてルイズは自分の小ぶりな胸を押さえて背を逸らした。残り数センチで重なった唇は、遠く離れる。反攻の狼煙は一瞬で踏み潰された。 重なる唇。触れ合う唇。融け合う唇。 私と、この青年の、唇が、こう、ちゅう、とくくく、くっつく!? かは、と息を吐いてルイズは自分の体を抱きしめた。やばい、非常にやばい。このまま心臓の鼓動が激しくなりすぎて破裂しそうだ。 ルイズはそのまま燃え上がりそうなほど過熱してゆく体温を感じていた。年相応に豊かなルイズの想像力が、重なり合う二つの唇を思い描いて脳の許容量を突破し、ルイズの理性を粉微塵にした。 『もう、悩んでないでぶちゅっといっちゃえば? べ、別に私だって好きでこんなはしたない真似するんじゃないわ。だ、だって使い魔を呼び出せなきゃ進級できないし、そしたらお父様やお母さまに恥をかかせることにもなるし。 ……ね、だからキスするのは仕方のないことなのよ。し、し、仕方なくああ、貴方とキスするんだから、そこの所を誤解しないでよね! 仕方なくよ、仕方なく何だから!』 と、この上ない至福の笑みを浮かべて契約の呪文を唱える。一秒が数十年にも感じられる中、呪文を唱え終えたルイズはすう、と息を吸った。なだらかな丘のラインを描く胸がかすかに膨らむ。 お父様、お母様、ルイズは女になります―― 「いざあああああああああ!!!!!!」 と、豪胆な戦国武将さながらに反らしていた背を勢いよく振りかぶった。割とアレな子らしい。アレとはなんぞや? と言われた、まあ、頭のネジの締め方が緩いとか、数本外れているとか、そーいう意味でだ。 そんな時、気迫が何らかの獣の形を取って咆哮を挙げている姿を幻視するほどのルイズが、どん、と背中を押された。 へ? とルイズがぽかん、とする間もなかった。コルベールに頼まれてDの世話をしにきたメイドがルイズの背を押した張本人だった。 怪我人でも摂れるようにと軽めの食事を乗せた銀盆を手にやって来たのだが、ベッドの中の眠り姫ならぬ眠り吸血鬼ハンターに心奪われ、夢遊病者の様に歩み、ルイズと激突したらしかった。 そして自分のタイミングを逸したルイズは、え、まだ心の準備が、と今さらな事を呟きながらD目掛けて落下し、やがて ぶちゅうううう という音がした。 Dが目を覚ましたのは、そのぶちゅう、という乙女のロマンもへったくれもないキスをルイズがかました直後である。 左手に刻まれる使い魔のルーンの熱と、痛みが、暗黒の淵に落ちていたDの意識を浮上させたのだ。 とうのルイズはもっと、もっとこうロマンと言うかムードのあるキスがああああああ、となまじキスが成功した所為で、現実のキスとの落差にショックを隠しきれず頭を抱えていた。 一方で、ルイズに望まぬ形でのキスを行わせた張本人たるメイドは、目の前で行われた美青年とルイズのキスの光景に、気を失って保健室の床に伸びていた。 ま、無理もない。この世ならぬ美とこの世の範疇に収まる美の接触を目の当たりにした事は、メイドの少女にとって直視に耐えうるレベルを超えた現象だったのである。 もはや兵器と呼んでも差し支えないのではないかと言う、冗談じみたDの美貌であった。頭を抱えてうんうん唸るルイズは、やがてDの視線に気づきはっと顔をあげ、Dの視線とルイズの瞳が交差した。 ひゃん、とルイズの喉の奥から仔猫の様な泣き声が一つ漏れて、腰砕けになる。かろうじて椅子から落ちなかったのは幸運といえただろう。 開かれたDの瞳に宿る感情を読み取る事は、どれだけ人生経験の豊かなものでも不可能だろう。およそ人間とは様々な意味で縁の遠い青年なのだ。その時の流れを忘れた堅牢な肉体も、その氷と鋼鉄でできた精神も。 Dはルイズの様子に注意を払うでもなく無造作に上半身を起こし、枕元に置かれていた旅人帽とロングコート、長剣を身につける。それから、至福の笑みを浮かべたまま器用に気絶しているルイズを見た。 床で伸びている黒髪のメイドにはそれこそ一瞥をくれる事もなく、ルイズの額へとDは左手を伸ばした。その左掌の表面がもごもごと波打つや、小さな老人の顔が浮かび上がったではないか。 皺と見間違えてしまうような、糸のように細い眼。米粒を植えた様に小さな歯。こんもりと盛り上がった鉤鼻。驚くほど年を取った老人の人面疽であった。この青年は自らの左手に独立した意思を持った老人を宿しているのだ。 表に出た老人の顔が口を開いた。 「やれやれ、九死に一生かと思えばとんでもない所に来てしまったのう。お前も気付いとるだろうが、ここは“辺境”区ではないかもしれんぞ」 答える声はなく、Dの左手はルイズの額に触れて、老人の唇から目に見えぬ何かがルイズの体内へと流れ込んだ。まるで氷水を直接頭蓋骨に流し込まれたような冷たい感触に、ルイズの意識が急速に覚醒した。 はっと眼を開き、自分の額から離れて行くDの左手に、皺の集合体の様な老人の顔が浮かんでいるように見え、驚きに目を見張った。老人の顔は、ひどく意地悪げに笑っていたのだ。 「あ、あの」 「ここはどこだ?」 こちらの問いの答えしか聞かぬと冷たく告げるDの声に、ルイズの蕩けていた心が強張った。目の前の青年が、美しいだけの人間ではないと悟ったからだ。不用意な言葉の一つが、自分の首を刎ねる理由になる。 それほどの、抜き身の刃と例えるも生温い心根の主なのだと悟った。美貌に囚われた心は、今や眼前の青年が死の塊なのだと知り恐怖に怯えた。 「ここは、トリステイン魔法学院よ」 これほど落ち着いた声を出せた事が、ルイズには不思議だった。心当たりがなかったのか、二秒ほど間をおいてDが質問を重ねた。 「ほかの地名は?」 「……ハルケギニア大陸、トリステイン、ゲルマニア、ガリア、アルビオン、ロマリア。主だった国や地方の名前だけど……」 「おれがここにいる理由は?」 来た、とルイズは思った。自分が目の前の青年に殺されるとしたら、コレだろうと覚悟していた。 ルイズは何が嬉しくて使い魔の契約で命の覚悟をしなければならないのかと、自らの不運を呪ったが、うまく行けばこの超絶美青年が使い魔である。 着替えさせて、と命じるルイズ。返事はないがもくもくとルイズの服を脱がして新しい服を身につけさせるD。 食事よ、と食堂に来たルイズの為に椅子を引き、腰かけたルイズにうやうやしく給仕をするD。 寝るわ、とととと、特別に私のベッドで寝てもいいわ。勘違いしないでね、藁を敷いた床で眠らせるのがちょっと可哀想だから、特別なんだからね! 普通の貴族だったら、こ、こんなこと許してくれないのよ。 私の優しさに感謝してよね、だだ、だから、ほら、早く入んなさいってば! いいこと、同じベッドで寝てもいいけど、指一本でも、私に触ったらダメなんだから! そういうのは結婚してから、結婚しても、三ヶ月はダメなんだから! ……で、でもどうしてもって言うんなら、ちょっとだけ許してあげない事もない事もないのよ? ど、どうしてもって言うならよ! ちょ、さ触ったらダメって、始祖ブリミルも、お父様もお母様もお許しに、や、ご、強引なんだから……あ、あぁ…………。 でへへ、とルイズはにやけた唇の端から涎を垂らしていた。何が引き金になって首をはねられるか分からないこの状況で、かような妄想に浸れる辺り、やはりルイズはかなりアレな子であった。可哀想な意味で。 そのルイズの様子を九割呆れ、一割感心した様子で眺めていた左手が感想を零した。 「お前を前にして、なんというか、度胸のあるガキじゃな」 「…………」 ルイズのようなタイプは珍しいのか、Dは沈黙していた。毒気を抜かれたか、肌の内側に滞留していた鬼気を小さなものに変えていた。それでもルイズか周囲に敵意を感じ取れば、レーザーよりも早いと謳われた抜き打ちが放たれるのは間違いない。 二人(?)の痛いモノを見る視線に気づいたのか、ルイズは頬を恥ずかしさで赤く染めて、もじもじと床の一点を見つめた。そうしているだけなら神がかった可愛らしさなのだが、常軌を逸した妄想に浸った直後の姿なので魅力も万分の一であった。 それから、流石に下手をしたら自分が殺されかねない状況を思い出したのか、若干手遅れな気もするシリアスな顔をした。 「少し長い話になるけど、いいかしら?」 Dは黙って頷き、先を促した。意を決したルイズの唇が開く。淡い桜色に染めた珊瑚細工の様な唇は、死を覚悟する事で一層美しさを増していた。 「私、貴方使イ魔呼ンダ。私、貴方ノ主人」 びびって片言だった。しかも省きも省いたりな内容だ。ルイズ、ここ一番で空気の読めない子であった。 だってホントの事言ったらどうなるか分からないんだもん、怖いんだもん、女の子だもん、とルイズは心の中でマジ泣きしていた。 「短いわい」 「なに、その声?」 自分の口調は棚に上げて、ルイズは聞こえてきた老人の声に眉を寄せる。若者の張りの中に鋼の響きと錆を孕んでいたDの声とは、聞き間違えようの無い声である。これは無論Dの左手に宿る老人だ。 ルイズの疑惑に答えはせず、今度は影を帯びた青年の風貌に相応しい声がルイズの心臓を射抜いた。 「きちんと答えろ」 「ひう、は、はい。実は……」 ルイズは一言ごとに自分が死刑台への階段を踏んでいるようで、まるで生きた心地がしなかった。かといって下手に誤魔化しを口にしようものなら、その場で体を真っ二つにされかねないのだから、選択肢など元からない。 ルイズは、はやくもこの使い魔を召喚した事を後悔しつつあった。 ――あ、なんか胃に穴が開きそう。 なんとか、ルイズがDを召喚した事実を伝え終えたとき、 ルイズは自分の髪が全部白髪になっているではないかと疑ったほどだ。 Dは開口一番、 「戻る方法は?」 「わ、わからないわ。普通、人間が呼び出されることなんてないから、そのまま使い魔として扱うし、使い魔の契約は使い魔が死なない限りは解除されないのよ」 「では、契約者が死んだ時は?」 「そ、それは」 見る見るうちにルイズの血色のよい顔から抜けて行く血の気。瞬く間に顔色を死人の色へと変えたルイズは、目の前の青年が必要とあれば殺す事も厭わないのだと、悟った。 ――あ、私死んだ。これは殺されるわ。 死への恐怖に涙をぽろぽろ流し始めてしゃくりあげるルイズを見てから、Dは無言で立ち上がった。びくり、とルイズの小柄な体が跳ねた。えう、と嗚咽を漏らし、せめて痛くないと良いな、優しくしてくれるかしら? と思いながら眼を閉じた。 何にも出来ずに終わる。ずっと馬鹿にされて、ずっと憐れまれて、ずっと悲しませて、ずっと失望させ続けてきた人生が、今、自分が呼び出した使い魔によって幕を引く。それはそれで、ゼロの自分には相応しいと思えた。 ぎゅ~と眉を寄せて瞼を閉じていたルイズに、Dの声が届く。 「この学院の責任者の所へ案内してもらおう」 「……え? あ、あの私を殺……」 「早くしろ」 「はは、はい!」 背に鉄筋でも通したみたいにあわあわと立ち上がり、ルイズはDを魔法学院の最高責任者オールド・オスマンの所へ案内すべく動き始めた。生命が助かった安堵も、新たな緊張に即刻引き締められ、ちっとも気が楽にならない。 ルイズがきびきびとドアを開けて歩きはじめてからその後を追うDに、左手からこんな声が聞こえてきた。 「お前にしてはずいぶん優しい反応じゃな。左手の甲に浮かんでいるルーンから精神干渉がさっきから来とるが、この程度で靡くようなやわな心でもあるまいに」 寝ている間にルイズによって交わされた契約によって刻まれた左手のルーン。一般に人間との意思疎通が難しい幻獣や動物の類を、主人に従順に従う存在に変える為に、使い魔のルーンには使い魔の知能向上のほかに親しみや忠誠心を抱かせる効能もある。 最終的には思考が主人と同一化するという、ある種と残酷極まりない洗脳効果もあるのだが、Dも過去に都市の住人全員を千分の一秒で発狂死させる精神攻撃を破った男、そう簡単に心は操れぬようだ。 「ずいぶん遠くに招かれたようなのでな」 「衣食住と情報源の確保か。しかし、青色と紅色の親子月か。貴族の手が伸びた外宇宙にもこんな衛星の記録はなかったわい。となるとさらに外側の宇宙か、別次元か。やれやれ、厄介なのは毎度の事じゃが、今回はいつにもまして面倒じゃわい」 Dの視線は、廊下の窓から覗く蒼と紅の二つの月を見つめていた。 そして学院長室にルイズとDは到着し、まだ執務中だったオールド・オスマンに会う事が出来た。 オールド・オスマンは齢三百歳を超えるトリステイン最強のメイジ、と謳われる事もある大御所なのだが、入学式の時にフライを唱え損ねて死に掛けたのを目の当たりにした事があるから、ルイズはさほど尊敬できずにいる。 ノックの音から間もなくオスマンから入室の許可がお降りた。夜中にアポイントを取らずの急な訪問であったが、オスマンの返答は穏やかな声だったので、ルイズは少し安堵した。 扉を開いた向こうには、白く変わった髪とひげを長く伸ばし、ゆったりとしたローブに身を包んだオールド・オスマンが椅子に腰かけて待っていた。動かしていた羽根ペンを止めて、入室者を見つめる。 「このような時間になんの様じゃね? ミス・ヴァリエールと…………」 ルイズの傍らに立つDを見て、机の上でクッキーをかじっていたネズミの使い魔ソートモグニル共々ぽかん、と口を開けて固まる。 自分の使い魔に対する反応に、ルイズは奇妙な優越感を感じてかすかに口元を緩めた。自分も同じ目に遭っていたのだが、それが他人も同様と知って嬉しいらしい。 たっぷりと一分かけてオスマンが現実世界に復帰してから、Dが一歩前に出て口を開いた。オスマンも、Dの体からかすかに立ち上る尋常ならざる気配を前に、二度と我を失う様子はなく、生ける伝説に相応しい威厳でDと対峙した。 そうそうに用件を口にし、使い魔の契約の解除とも元いた場所への返還手段を訪ねた。オスマンは長いひげをしごきながら黙ってDの話を聞いていた。使い魔の契約を解除してくれ、などと使い魔の側から言われたのは初めての事だろう。 「おれはある男を捜さねばならん」 「ふう、む。しかし君には悪いが使い魔を帰す魔法はわしの知る限り存在せんのじゃよ。君の事情とやらもなにかただ事ではないと分かるが、帰してやろうにも帰し方が分からぬのじゃ。 どうじゃね? ミス・ヴァリエールの使い魔が不満と言うなら、護衛の傭兵と言う触れ込みでしばらく暮らしてみては? 住めば都と言うてなあ、君ほど美しければ嫁さんもいくらでも……」 と、そこまで諭すように口を開いていたオスマンの口を止めたのは、Dの気配に死神の携える鎌を思わせる冷酷なモノが混じっていたからだ。これまでの人生で多くの大剣をしてきたオスマンからしても、一瞬死を覚悟せざるをえぬ鬼気。 それを止めたのは二人のやり取りを見守っていたルイズだった。 「やめて! 貴方を呼んだのは私よ。私が召喚した所為で貴方に迷惑をかけたというのなら、私が償うわ。ここには大陸中の魔法関係の書物を集めた図書室もあるから、情報もたくさんあるわ。 貴方の食事とかの世話も私の責任で見ます。貴方を元の場所に帰す方法も探します。怒りが収まらないというのなら私を斬っても構わない。だから!」 一人の少女の懇願をどう受け取ったか、Dはしばし自分をまっすぐ見つめるルイズを見返していた。左手のルーンがかすかに輝いていたが、それはDの心に影響を及ぼす事がないのは、すでに明かされている。 「口にしたからには守ってもらうぞ」 「はい。貴族の誇りに掛けて」 ルイズの口にした貴族と言う言葉に、Dはかすかに苦笑めいた影を這わせたが、それをルイズやオスマンに悟らせる間もなく消し去り、踵を返した。 どうやら矛を収めてくれたらしい、とルイズとオスマンが気づいたのは、Dが院長室の扉に手を駆けた時だった。 「ま、待って。ええっと……」 「Dだ」 「あ、ディ、D? Dが貴方の名前なの?」 「そうなるな」 ようやく使い魔都の名前を知る事が出来た事の喜びに弾むルイズの声が、二人の主従共々消えてから、オスマンは深く長い溜息をそろそろと吐き出した。一気に何十歳分も年を取ったような気分であった。 「なんとまあ、ミス・ヴァリエールはとんでもないものを召喚したものじゃ。まだこちらの言い分を聞いてくれるから救いが無いわけではないが。こりゃ『転校生』を呼ぶ事も視野に入れた方がいいかの?」 オールド・オスマンの呟きは知らず、Dとルイズは再びルイズの部屋に戻り、緊張に満たされた世界で対峙していた。 ルイズはベッドの上に、Dは窓際に背を預けて腕を組み、黙って目を閉ざしている。部屋に戻って以来言葉の一つもない。シーツをぎゅっと握り締めてもじもじしていたルイズが、何度目になるか分からない覚悟を決めて口を開いた。 「あ、あの」 「……」 「えっと、D? あのね、一応使い魔の役割を説明しようとおもんだけど」 「……」 「い、いい? まず主人の目となり耳となって、視覚や聴覚を共有するのだけど」 Dの首がほんとうにかすかに横に振られた。まあ、確かに同じものは見えていないので、ルイズも同意する。今の所Dの導火線に着火するような真似はしないで済んでいるようだ。早く終わらせないと私の神経が持たない、と判断したルイズは一気にまくし立てた。 「あとは秘薬なんかを探してきたりするの。ポーションやマジックアイテムの作成の時に必要だから。それと特にこれが重要なんだけど主人の身を守る事、これ、これ大切よ」 「世話になる間は君の身は守ろう」 「ほ、ほんと?」 「嘘を言っても仕方あるまい。だが、おれを帰す魔法の調査は約束通り行ってもらおう」 「は、はい!」 「もう眠れ。明日は授業なのだろう?」 「そう、だけど」 「なんだ?」 そんなまともな事を言われるとは思わなかった、と口にする勇気はルイズにはなかった。ぶんぶんと壊れた人形みたいに何度も首を縦に振る。 雰囲気はやたらと怖いけど、わりとまとも? とルイズは一縷の希望に縋る様な感想を抱いた。そうだったらいいなーというかそうであって欲しいなー、と痛切に願う。 ルイズはもう色々と疲れすぎて着替えるのが面倒になってしまい、そのままベッドに倒れて眠ってしまった。 Dは、その様子を黙って見守っていた。 前ページ次ページゼロの魔王伝
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「……はぁ……」 ぽつりと、悲しげなため息が聞こえた。 そのため息の主、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、肩を落とし、眉根を下げ、とぼとぼと広大な草 原を歩いていた。 「……これから、どうしよう……」 ルイズは途方に暮れていた。 先ほど行われていた、春の使い魔召喚の儀式に失敗し、何の成果もなく一人学園に向かって歩いていたからだ。 級友達はみな各々使い魔召喚に成功して、飛べないルイズを置いて帰ってしまっていた。 「……わたし、どうなっちゃうんだろう……」 さすがに落ち込んでしまう。置いていかれたりするのは、魔法が使えない自分にはそう珍しい事でもない。それより、使い魔すら喚 びだせなかったことに暗澹とした気分になる。 「……なんだか、もういやだわ……。……ちい姉さまの声、聞きたいな……」 ふと、ルイズに望郷の念が沸いてきた。 この一年、ルイズは必死に頑張った。必死に一年、砂を噛むような思いで学んだ。幼い頃からダメだった自分に決別するために、あ らゆる努力をした。 劣っていた自分。両親を、厳しい姉を、使用人たちを見返して、優しかった次女の姉を、みんなを喜ばせたかった。それが自分なり の恩返しだった。 認められたかった。ほめてもらいたかった。よくやった、頑張った。お前は頑張れば出来る子だ。そういって頭をなでて欲しかった。 それ以外何もいらなかった。 でも、全ては徒労だった。夜中まで教科書と格闘したり、原っぱで爆発に転がされて泥まみれになったり、周囲の侮蔑に必死に虚勢 を張ったのも無意味だった。 魔法使いたる貴族の基本とも言える、使い魔召喚すらできなかったのだ。いくらルイズが強い信念の持ち主であっても、心が折れて しまった。 「……帰りたい……ぐすっ……」 故郷を思い出すと、自然とルイズの目に涙が溢れてきた。今まで我慢してきた感情が、急激に膨れ上がってくる。 「……ぐすっ……ひっく……もう、やだ……やだぁ……」 悲しくなって、その場に立ち尽くしてしまった。 もう、我慢ができなかった。ずっとずっと、耐えてきたのだ。いつか、きっと努力は報われると信じて。 それでも、現実は残酷にルイズの敗北を突きつけた。どうしようもないほどに、明確に魔法は使えないという事実を。もはや、覆し がたいほどに。 ルイズとて、女の子である。とうとう、膝が折れ、腰が砕けるように座り込んで、ぼろぼろと泣き出してしまった。 「う……うう……う……」 つらい、悲しい。苦しい、耐えられない。 がんばったのに、努力したのに、してきたのに、どうして。わたし、どうしてこうなるの。どうして。 もうだめ。もう苦しい。もう耐えられない。もう、もう……前が、見えない。 誰も見ていない草原の真ん中で、ついにルイズは、恥も外聞も忘れて、大声で泣き出してしまおうとして――― 「っはくちゅっ!」 そのために息を吸い込んだところで、可愛らしいくしゃみをした。 ……。 「……あれ? は、はくちゅ! くちゅん! くちゅん!」 立て続けにくしゃみが出る。 「え、あ……? ずず、うう……な、なに?」 鼻をすすって、不思議そうな顔をした。 急に鼻水が溢れてきている。ルイズには、何事かわからない。 「あ、は、は、くちゅん! くちゅん! はくちゅん!」 世の中、悪いことは重なる物と言われている。 ルイズも、まさにそれであった。 新たな悲劇はルイズの小さく可愛らしい形のいい鼻、その鼻腔の中で、決して人目には触れず、だが確実に―――進行していた。 『彼ら』が動いていた。 長年、このルイズという少女は、『彼ら』にとって攻略すべき目標だった。 見えないことをいいことに、季節が来るたびに波状攻撃を仕掛け、ゆっくりと、しかし確実に『彼ら』は彼女の体を蝕んでいた。 そして、ついに、ついに―――積年の努力が身を結んでしまったのである。 『彼ら』、そう、『彼ら』とは。 「―――ぼくったちっ花粉っくん今年もがんばるぞー♪」 花粉である。 季節は春、彼らの季節である。 これより、ルイズの体内に侵入した精強なる『花粉くん一個小隊』はその猛威を振るおうとしていた。 もはや防衛能力を完全に喪失したルイズの免疫機構は、彼らに対する対抗手段をまったく持たず、哀れルイズの鼻腔は荒らし回られ ようとしていた。 つまりルイズは今年から、花粉症になってしまうのであった。 だが。 『彼』がいた。 異世界より召喚され、強大な力を持つ救世主が。 立派な髭を生やした、初老に差し掛かろうとしている中年男性だった。ピシッと糊の聞いた品のいい上等なスーツを着て、赤と黒の 横縞のネクタイをしていた。 銀で作られた印が前につけられたつば付きの帽子を被り、さらにその上に象徴たる不思議なモニュメントが載せられていた。 そして、『彼』は油断しきっていた花粉たちの前に、颯爽とその姿を現した。獰猛なる二匹のドーベルマンを従えて。 【スカイナーさん】 花粉は―――花粉は、恐れた。驚愕し、目を見開き、思わず悲鳴染みたうめき声を上げ、彼を仰ぎ見るしかなかった。 『―――コラーッ』 スカイナーさんの少しかすれた怒声が響き渡った。 さらにすかさず、スカイナーさん得意の堅固なる防御がルイズの鼻腔を覆い尽くす。 ―――【出始めガード】――― それだけで、花粉は戦う意欲を完全に失った。肩を落とし、降参した。 「アイム、ソーリーーーーっ!!!」 ルイズの鼻腔は、守られた。 「くちゅん! くちゅ……。……。……あ、あれ? 止まった……」 いきなり出てきたくしゃみが、今度は急に止まったルイズは不思議そうに首をひねった。 ルイズは気づいていなかった。 圧倒的な力を持ち、主をあらゆる敵から守りきる偉大なる無敵の盾―――ガンダールヴを自分の鼻腔の中に召喚していたことに。 ヒューマンヘルスケア エーザイ『スカイナーAL錠』のCMより スカイナーさんを召喚